行動福祉・対人援助

marumo552006-07-15

以下、以上さんの質問(7月5日)http://d.hatena.ne.jp/marumo55/comment?date=20060705#c

以上 『 行動福祉と対人援助とどのような関係があるだろうか。現在では社会福祉と心理学と結びつつありますが、人間を対象にし、もともと人間の物質と精神が豊かになることを目指す福祉では、心理学の知識や技法を用いて、実践しているようです...しかし、何かあった場合では、責任を負う手が現れず、一体、福祉と心理学どのように結んだらいいだろうかという疑問が持っています。』

心理学と福祉の関係については、望月(1989)
http://www.ritsumei.ac.jp/kic/~mochi/fukushijissen.pdf
を読んでいただくこととして・・・・

 福祉とりわけケースワークの理論は、「個人と環境との関係の調整」と表現されるようにほとんど心理学で扱う題材を実践的に展開するものと理解しております(上記の論文にも書きました)。
という意味で本来、共通の枠組みと目的を持ったものであると思います。

 ここで●以上さんの質問の問題は、「何かあった場合では、・・・」という部分かと思います。
おそらく、これは個別の対応において、つまりは福祉的知識や職制を持つ対人援助者が、いわゆる臨床的介入を行ったときに事故ったときなどの専門性と職業倫理に関する問題と解釈します。
 「行動福祉」という発想は、そもそも個別個人への対応を行う方法論としての応用行動分析学の対象を、マンツウマンでおこなう「臨床的作業」にとどめず、そこで課題となる行動、とりわけ正の強化で維持される行動の選択肢の拡大という目標設定の中で、身近な環境の変容から必要とあらば制度問題までをたどって行くというものです。
 ここでは確かに、この作業モデルにおける方向性は、まずはミクロな対人援助が前提にあり、そこにおける行動を支える強化随伴性をたどって行くという意味で、基本となるユニットは個人の行動なので、職制や職業倫理の観点からその専門性としては行動分析とか心理学であり、その技法や方法については、福祉関係者は相対的に専門外である、という見方もあるかと思います。
 わたくしも、本来、心理学がそれまでのキャリアであり、個別の個人への対応の方法を専門としてきたわけですが、行動福祉を発想したのは、ミクロな対応をしている中で、逆の意味で「何かあった場合では・・・・」に遭遇したことがきっかけです。マンツウマン的な対応では、どうにもならん、という場面です。これまで考えられてきた心理や臨床的職業的作業範囲の中では解決がつかないというものです。言うまでもなく具体的には、環境設定の問題なのですが、それは当初はずいぶんと「お前の(心理的)職制内の作業ではない」と言われたものです。
 ●以上さんの「何かあったら・・・」という内容は(もし、わたくしの解釈どおりとすれば)、福祉的(マクロ担当)が、臨床的な関わりに手を出して失敗したときの職業倫理的問題であるとすれば、それは「研究倫理」というものが、ポリティカルジャスティス風にうっかりすると思考停止を生んでしまう側面もある昨今ではむべなるかなではありますが、・・・そして、いくつかの資格認定協会が泣いて喜びそうな話でもありますが・・・。

 もちろん、個別への対応から環境調整まで、全部ひとりでやるのは大変なんで、そこで複数職種の人たちが「連携」するというのが行動福祉の方法です。そこで心理屋さんが、固有な呪文みたいな専門用語を使ったりしないように、誰でもわかる「行動」言語を使うというのが「行動」福祉の基本です。

 使用言語の問題ではなく必要なテクニックの問題はどうか。
福祉の教育を受けた専門家が、まず実質的な意味で、行動分析的な方法を用いることが難しいかというと、わたくしはそんなことはないと思っています。「正の強化で維持される行動の選択肢の拡大」(やりたいと思う行動の選択肢が増えていく)ということを、対人援助の共通ミッションとして行うことは、基本的には対人援助職としての、常識的知識の中でできるんじゃないでしょうか。もちろん、ただ選択肢出せばそれでOKというのではなく、そこに選択をするという行動を教授する必要もありますが、それも、そんなに専門的知識が必要というのではなく、経験的に工夫できる範囲だと思うのです。そしてそんな作業の中で、「何かあったら・・・」の場面ってそんなにあるでしょうか。そもそも。正の強化の世界は、じっくりゆっくりの漢方薬みたいなもんですし。

 「福祉心理学」と題するテキストなどでは、福祉領域の中で古い意味での「心理学」を適用することを主眼としたものもあるようですが、心理呪文を(これまでのマンツウマン的臨床小世界で使っていた言葉や手法を)福祉的場面に入れるというのは、そもそも行動福祉とは反対の方角です。
 確かに、問題行動などが、まずクローズアップされると、いかにもマンツウマンの「臨床的対応」をしなければという、旧心理学的な発想になってしまい、いかにも福祉援助者からは遠い存在のように思えてしまい手もひけますが、結局のところ、その解決には、先にあげた「正の強化で維持される・・・」ということを実現するしかないと考えています。やはりミクロな解決ではなく環境変容を含めた問題なのです。

 かつて、私が愛知県コロニーで最後に「強度行動障害」のある人に対する対応を、総長ミッションでスタートしたときも、施設の側の人は福祉的職制の人でした。それでは、われわれがミクロな対応の知識を提供し、彼らが環境設定を分担する、というやり方をしたかというと、そうではなくて、「正の強化で・・・」という共通ミッションのもとで、やれることをやったわけです。行動の選択機会をつくるという、心理とも福祉ともつかない作業が、具体的方法の中心でもありました。施設職員の人が頑張って、その「強度行動障害」の人は、おどろくほどの改善をみせました。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hs/ningen/NINGEN_2/02_085-102.pdf
そこでは、とりわけ「心理学的呪文」や固有のテクニックがあったわけではありません。むしろ心理用語(「受容」とか「発達段階」)は、乗り越えるべき作業の障壁でさえありました。
 
 あまり専門性の壁にこだわる必要はないと思います。心理屋だって「何かあったとき・・・」たいしたことができるわけではありません。「何かあったとき・・・」は、職制の問題を離れて、別個に対策しておく問題だと思います。


「行動福祉」から「対人援助(学)」というのは、ミクロからマクロという一方通行ではなく、改めて対人援助作業に共通する機能について、ひとつの統一した原理原則のもとでまとめなおそうというものです。心理の職制とか福祉の職制とか、分担してても何も解決しないから、ということです。

 ちなみに、えらそうに言っているわたくしとて、ミクロな対応の際に、何か資格を持ってやっているわけではありません。調理師免許ねらってますけど。