治験の話
すっかり特定疾患のブログになってしまって、題名も「日々是闘病」に変えるべきかとも思いましたが、神経系難病の当事者(この「当事者」という言葉がまだよくわかってませんが)としてやはり「対人援助(学)」を考えていきます。
せっかくだから、と言うのも変ですが、昨年(2014年11月)の「対人援助学会」のシンポジウム(武藤崇企画「臨床を『人称』から考える」:「二人称の科学」は成立するのか?)でも自分の疾患をネタに指定討論。このシンポは、『医療におけるナラティブとエビデンス−対立から調和へ(遠見書房)』などの著書もある斎藤 清二先生も話題提供者としてお招きしてのいわゆるエビデンス・ベイスド(EB)な「三人称の科学」批判としての対人援助の学の可能性についてのもの。
そこで具体的なネタとして取り上げたのが、私が今も参加している(「参加している」と表現するとなんか恥ずかしい)新薬の治験の話。当時これのことで頭がいっぱいだったし。
脊髄・小脳変性症に対しては、あまり薬効もおぼつかないがセレジストという薬が定番。当初、私も、主治医から処方されてました。結構、高価な薬だったのですが、特定疾患の認定を受けると薬代免除。特定疾患でやれやれといったところ。
しばらくして、同じ主治医から同じような効果が期待できるかも知れない新薬の治験者(被験者)にならないか、という提案あり。ただし治験デザインは、エビデンス派の方法の典型摘ともいうべき、かの二重盲検法(double blind method)。すなわち、被験者(わたくし)は、実薬か偽薬(プラシーボ)か、わからないままに錠剤を数か月にわたり飲み続けなくてはいけない。それもセレジストの投薬を中断して。ひょっとすると無薬の状態がしばらく続くかも知れない。そしてそれを実行する医師も、わたくしが実薬群か偽薬群かを知らない。
治験には「治験コーディネータ」なる人も参加し、定点観測的な質問を担当する。この「治験コーディネータ」は医師と患者の間に立つ、というようなことが物の本に書いてあったような気もするが、給料の出所を尋ねたら、薬品会社が当該大学へプールしてそれを配分とのこと。こりやダメだ。
特定疾患とは
思わず難病(特定疾患)の患者当事者になったのですが、改めて「当事者」と名乗れるのはどういう事か考え込みます。わたくしの特定疾患(脊髄・小脳変性症)には、「要支援2」という区分の介護保険の適用になり、ヘルパーさん週に2時間利用のサービス(?)を受けられます(介護料全額ではない)。また症状に対する判定としてついてきた身障者手帳の等級は2種5級というものです。
これは、書いたように、JR乗車賃、高速料金が半額などの特典(?)がついてきます。そして真っ先に思いつく駐車の権利拡大があります。京都府の場合には、特定のステッカーをもらって、それをぶら下げれば、やはり指定の身障者マークのついた駐車場(京都おもいやり駐車場)にはとめられるというもので、よく勘違いされている「身障者マークついてればどこでも止まれる。あるいは、お目こぼしにあずかる」という水戸の印籠のようなものではありません。ふと近所のスーパーの前に、京都府のおもいやり駐車場対応の身障者ステッカーを掲げて15分ほど停めたら、しっかり罰金。
それでも介護サービスやら身障者の特典やら、特定疾患についてはいくかの援助があって手続きもことのほか簡単で結構福祉国家やなあと感心したものでしたが、今般、「ことのほか簡単に」患者負担が改悪。かつては特定疾患に関する医療費(関連と認められた医療費、薬物、リハビリ料金など)の自己負担の上限は5千円だったのが、今年に入って2万円に値上げ。特定疾患とされる病気の種類は拡大したのですが、一人ひとりの負担は激増。今まで月に2回リハビリに行けば、3回目からは公費だったのが、それからは自己負担(保険は効いてる)。2万なんて、治療の効果を考えれば、と思いがちだが、クリニックへのタクシー料金も考えれば、倍ではすまない。一晩たったら「権利の当事者」から「「義務の当事者へ。
難病のことなど、一般の人の多くはご存じないだろうが、こんな風に知らぬ間に他の権利もどんどん奪われてないか?
ひさびさにアップ
あまりに長きにわたりブログさぼってまして、「死んだか」という噂も飛び交っているので、近況報告。
病気してました(してます)。過去の最後のアップにもありますように、様々不調を訴えておりましたが、あの後(もう1年半も前になるな)過去のMRIの写真も持ってその経年変化を診断してもらうべく(「他立的自律」実験デザイン:おいおい解説)、某K大学病院へ受診に行ったら、あっさり「小脳が小さくなってる。ぼくら専門だからわかるんだよね。」と神経系内科の医師がなかば自慢げに脊髄・小脳変性症(SCD)との判定。大脳の変調だと思っていたのに小脳系か。メモリーじゃなくてCPUの故障じゃ大変ンだ。後で調べたら10万人に5から10名(wiki調べ)の「難病」(原因・治療法未詳)とのこと。いわゆる「特定疾患」でこれにかかる医療費免減、介護サービスも受けられます。身障者手帳も受領。高速料金、乗車券半額といった特典(?)があります。
それら数々の手続きは、お役所仕事と思ってたけど一生懸命やれば予想外にスムースで、現在、週に一時間(ほんとは2時間まで枠があり)ヘルパーさんが来てくれて部屋の掃除など手伝ってくれてます。それとやはり週に1回、病院の勧めで、リハビリテーション通院。半日の間、PTもしくはOTの身体的トレイニングとSTの言語訓練。
「仕事は続けられますか」と医師に相談したら、「鳶職など高所の足場を渡るようなものは止めた方が良い」とのこと。大学教員(立命館の?)も似たようなところが無きにしもあらずですが、可能な限り生活を変えない方が良いという勧めに従って、とりあえず無理やり続行。
といっても生まれて初めての病気(15年ほど前に胆石内視鏡手術やりましたけど)。それに対する適応の問題もありますが、難病ゆえ「新薬の治験」も担当医に勧められ(?)参加することになりました。この「治験」が曲者で、研究倫理問題のどまんなか。しかも当事者として。これが騒がずにおられるか。
社会病理自慢
メタボ、ロコモーティブ・シンドローム(特に膝痛)、鬱、めまい、いずれも最近の「流行病」ですが、まさしく現代を言い表すものですね。メタボとロコモーティブのためのサプリや薬品の広告料で、夜のBSなんて成り立っていますよね。これも前にブログで書いたけど中国のTVも似たような状況だったような。
うつ病患者の増大が先か、抗鬱剤流通が先かって、もうよくわからないっていうのは言い古された話ですけど、次は、ロコモが先かコラーゲンやヒエレルキンサン(だっけな)が先かって、これはもう完全にコラーゲンなんかが先のような気がしますね。ロコモの予備軍は何千万人もいる。って、みな歳とるんだから当たり前。
学部1回生の研究入門で、相関と因果の違いとか、独立変数と従属変数とかって、これがまず大切。って教えるのはこういう事にすぐ気づくためでもありますよね。
ところで、数年前からわたくしの研究入門では、タームの終わりに全員がポスターセッションをやることにしています。昨年からは、キーワードに3.11を含むこと、という条件がついてます。あとは自由にトラウマとかカウンセリングとか犯罪とかのテーマを持ってきて良いということになってます。
でも修理どころか保全もままならぬ原発を、先頭立って首相が海外に売り込んでるという事実の前に、因果も実験もトラウマも吹っ飛ぶな。
病気自慢(2)
ロコモティブ・シンドロームって、そんな言葉があるのを最近知りました。私、まさにそれです。移動運動がやばいと。まずは慢性的「膝痛」。ブログたどると8年前に整形外科で「すぐ手術」と言われて、当時はセコンドオピニオンがわりに、「試して合点体操」をみて自主的採用して乗り切ってますが、4年前にまた深刻な事態になってました。
今回は、無呼吸とかメニエルって騒いで、それらが一段落ついたころまた再発。思えばきっかけは、いつも東京出張とか関東方面へ重い荷物をゴロゴロさせて地下鉄などの高低差のあるロコモーションが多い場合であるような。
今回で問題なのは、膝痛のみならず、一段落とはいえ、「メニエル」の一症状なのか、「歩行のアンダーステア」と表現しましたが、ともかくバランスが悪い。現在の車高の低い車を乗り降りするときに、「どっこいしょ」と声が出るなんて生易しいものではなく、乗るときは運転席を通り越して助手席までなだれ込まざるを得ないし、降りるときも、車外に「もんどり出る」ような大騒ぎ。着地姿勢がうまくとれない。最近、ドア開口部に手をついてゆっくり降りる、というガルウィングのスーパーカーごとくの降車法に気づいて実践。されど狭い場所(大学近くのお寺に借りている駐車場など)で乗降する際、でかい2ドアが十分に開けられないとき、しょうがないので助手席側から脱出せんと移動(ロコモーション)するも、社内移動途中に足がギアノブとかにひっかかって、にっちもさっちもという膠着状態になることがしばし。この乗降ロコモーションのたびに、バランスだけではなく基本的にメタボ(強度の過体重)という、もう一つの慢性的な「病」を思い知らされる。
基軸的(ピボータル?)な問題は肥満にあり、と、何十回かこれまで繰り返した結論に対処すべし、と少しでも「歩き」行動を増加させたいがなにせ膝痛。そこで「試して合点体操」(「治療・教授」)だけでなく、「援助設定」としての膝にやさしい運動靴を、高いけど大人買い。アシックスのゲルカヤノ。やっと高島屋で入手。海外の観光客も、寺社仏閣の階段昇降で膝を痛めて買い求める人が多いそうです。
病気自慢(1)
お元気そうでなによりです。というお言葉を頂いたのになんですが。
メニエル、睡眠時無呼吸症候群(SAS)、ロコモティブ・シンドローム(膝痛つき)、歯周病悪化、以上が悩み続けている「病」です。それらとは別(?)に長年、「鬱症状」てのも10年以上前から「明るい鬱病」とか揶揄されながら多忙の中で「それどころじゃない療法」という立命固有の対処で来たものの、過去、サバティカルをとると「どん底」徘徊を2度体験。
メニエルはちょうど1年前の今頃から「天井が回る」+「歩行がアンダーステア」状況。耳鼻科でメニエルといわれて、医師に従い大投薬で試行錯誤。この際なので「天井回り発作」を累積グラフにして得意げに医者に見せたけどあまり関心示さず。というか「ほら、どんどん増えているでしょう」って「累積」グラフの意味理解してるんだろうな。せっかく記録とったのに。結局、投薬をしても(試しに)しなくても「発作」は起こる、というNCR的状況に自主的に服薬中止。今年の5月の連休くらいから「天井回り」なくなる。
睡眠時無呼吸症(これは前にも書いたな)は、ついにCPAP(Continuous Positive Airway Pressure)を導入。夜寝るときに、旧式の戦闘機乗り(?)みたいなマスクを装着する。常時、呼吸に正圧がかかる。デフォルト4hPa(通常より+4mB?)で、睡眠時に、無呼吸状況があるとマシンが自動的に「極限法」(心理学実験法参照)のごとく少しづつ圧を上げていく。そんなマスクつけたら眠れないのではないか、と思いきや、意外と1日目から眠れました。次の朝、マシンの目盛を見ると大抵2倍以上の圧になっている。この装置によって、「呼吸」というレスポンデントとオペラントの中間みたいな行動が、単に受動的に生じているのか、無呼吸に応じて多少とも自発的に起こっているのか、あるいは圧が上がって楽になることから、無呼吸行動が強化されているということはないのか。「CPAP療法は継続することが最も大切です!」ではあるが、これは継続すれば根治するのではなくて、「マシンがあるときは呼吸可、無いときは無呼吸」、という551蓬莱のごとくのABABデザインの対象(純粋「援助設定」)ということである。
がしかし、前記したような行動的原理が関与してくるかも知れない。それは治療的方向なのか、依存的(やみつき)的方向なのか。呼吸行動の変遷はすべからくSDカードに保存されて月1回内科医を通じて業者が解析するんですが、詳しくみればその辺がわかるんじゃないかな。誰か卒論でやらんかな。
★ほんとは22日にアップ(病気自慢が途中だからね)
学習学と「家事」
3日に1度、このブログをチェックしてくれているという院生さんがいたので、久々にアップ。
昨日6月18日に、R-GIRO(立命館大学グローバルイノベーション)の研究員N君によるライスボールセミナー(おにぎり2個つき若手研究者の研究発表)での発表がありました。
タイトルは「夫婦における積極的家事参加―主体的な学習を可能にする『学習学』アプローチ」。N君は、R-GIROの、わたくしが代表の研究プロジェクト「対人援助学の展開としての学習学の創造」(2010〜)の一員として上記のタイトルでの発表とあいなったわけですが、対人援助学も遠くにきたものだ。
この「学習学」(Learner’s science)プロジェクトなるものは、そもそもは、「学生ジョブコーチ」(RSJC)の実践のこれまでの過程でクローズアップしてきた、障害のある個人において今以上に「業務」に積極的にコミットすることが可能なのではないか、それによって仕事自体が強化になるような状況を生むためにはどんな方法があるか、という「セルフ・マネジメント」のテーマが基調にあります。このテーマは、当然のことながら、当事者を支援する学生たちの行動についても同型的にとらえられ、さらに一般的には、若い学生や卒業生にとっての就活や継続的就労における課題としても考えることができます。
このプロジェクトはこうしたテーマを基本に、若手研究者がそれぞれが持つテーマと「連携・融合」しながら進行してきました。で、今年からは「家事」をテーマとしたN君との連携というわけです。
ところで家事って何だろう。フロアから「自分は家事はすべて(妻に)まかせている」という男性からの発言があり、それについ触発?されて「自分は、単身赴任で100%家事をやっているんですけど・」と対抗しちゃったんですけど、おひとり様は自分で料理するとき『家事』やってるって思うかな。家事は夫婦とか家族で初めて発生する「関係的概念」?
どうなる「学習学」?