「臨床人間科学の構築」中間報告会

marumo552007-03-23

 オープンリサーチセンター(Human Services Research Center)「臨床人間科学の構築」中間報告会がありました。APUからもBKCからも研究メンバーに来ていただきました。K先生、C先生ごくろうさまでした。少なくとも物理的には学際研究発表。つぎは学融的(サトウ)に対人援助学への追及となります。その具体的方法としては、1)「対人援助学」といったタイトルで本をつくる(その際の章だてなどを考えるプロセスが重要)。2)学会をつくる、3)対人援助学という授業をするとしたらどういう構成で行われるか、といったことが考えられます。いずれも計画をしております。
 さらに、いくつかのプロジェクト(チーム)から、大学資源の可視化、大学という地域資源の意義、といったた枠組みが提出されています。これは前記の3)とも関連し、実践的な行為を通じた、新たな対人援助に関する学範の形成についての道筋をあらわすものと思われます。さらに、mutto先生の報告にあった、「人称性」に関する問題は「融合と連携」という作業を行うときの具体的課題設定として重要なポイントであろうと思われます。これまで、「認識の科学」VS「実践の科学」といった分類を、(これもコロニー時代の冨安先生からの教えですが)想定してきたのですが、これはほぼ「基礎と応用」あるいはいわゆる心理学と行動分析学の対比として理解してきたわけですが、最近(というか以前からあったものですが)そのいずれでもない「一人称」の心理学というものが「再認識」(というかブーム)で、これはわたくしが(勝手に)分類するとすればスピリチュアルといった人たちの方向性や狭義の臨床心理の一部のひとたちの姿勢でもあります。
 となると、一人称(座禅グループ)、二人称(行動分析学)、三人称(いわゆる実験心理)といった並びかたが想定されるわけです。mutto先生は、あえてM&Aチームを立ち上げ、「2 in 1人称」の世界で統合をはかっているようですが、ミイラ取りにならんように頑張ってください。なんとも心地よい世界でもあるからなあ。癒されたりしないように。
心配なのは、一人称の人たちが、これまで「非科学的だ」とか「基礎ができてない」とか言われてきて、そこで「じゃ科学的根拠を」とかいって、急に三人称に転ぶ可能性があることを危惧します。「座禅しているお坊さんの脳波をとる」みたいなfunnyな状況が目に浮かびます(事実そういう研究も過去にあったな)。
 一方、中途半端な三人称科学を使って、さも二人称としての実践支援が可能だというのも危ないよね。「座禅坊主の脳波」はまだ愛嬌のある話ですけど、こちらのほうはあまり愛嬌ないんですよね。中途半端な「発達理論」と同じくらい困りもの。ほんとに三人称をきちんとやっている人は簡単に二人称作業について口にしないよね。というわけで、私の場合は★一家の「ディスアビリティ・チーム」に無理に入れてもらって癒されてます。

 昨日の学部の卒業証書授与式の主任のO先生も、本日の基調講演の松田先生も(写真参照)「あるある」の納豆効果を信じる人たちの話を取り上げられていました。二週間ばっちり納豆で朝晩ごはんをばくばく食べて4キロ太った私は、心理学(三人称)も対人援助(二人称)も失格か! はたまた魂(一人称)の故障か。

司会のサトウ先生お疲れ様。基調講演の松田先生ありがとうございました。人間研のスタッフの方、PDの皆様、協力いただいた皆様、ごくろうさまでした。


以上の話とは何の関係もありませんが、私の親類で短歌の世界でちょっと著名な方からの歌がとどきました。ありがとうございます。

      前頭葉ピンクに染めているわたし
        引き算嫌ひ割り算嫌ひ

DSのやりすぎ? 他の趣味をお探しください。