シネマで学ぶ人間と社会の現在:シリーズ2

marumo552009-06-13

 「”裁き”のそのあとで−加害といかに向き合うか」の第二弾、『休暇』の上映が本日、朱雀キャンパスでありました。
 前にDVDでさっとみたときに較べて印象が少し変わりました。プロの作った映画というのはやはり大スクリーンの鑑賞を前提としているんでしょうか。
上映後、朱雀キャンパスの「住人」の上田寛先生(法科大学院)と対談。上田先生、さすがに(?)敢えてDVDを観ずに一発勝負で臨まれました。

 対談では、ホスト側の私が、刑法の専門家である上田先生に質問するという形で進行。いやあ、なかなか勉強になりますねえ。量刑、つまりは罪とそれに対する罰の関係というものについての合理性というか原理みたいなものは基本的にはない、ということ、日本人の80%が死刑制度に容認の態度であり、そうした民意も無視してはならないといった論などを拝聴。

 密かにもくろんでいた進行は、
1)「死人にはできない事が行動である」という定義のもとで作業をする行動主義者にとって、死刑という、最前提となる「生」というパラメータの除外というのは、ちょっとスケールアウトな話なんですが、刑法というのは、どういうロジックで量刑(とりわけ死刑)を意味づけるのか、という質問を上田先生にする。
2)上田先生に、専門家の立場からこれについて解説してもらう
3)そこで、展開として、ほんとに罰が加害者にもたらす「苦痛」が、被害者の側に何かより良きものをもたらすのかという質問をする。例として、立命館大学の図書館の無断持ち出しをした学生へのペナルティとして、「蔵書の落書きを消させる刑」を執行した際に「加害者」がその作業に次第に夢中になり達成感も持ち始めるというエピソードをとりあげて、その話を聞いて悪い気はしなかったという個人的体験から、「加害者」が苦痛ではなくキャリアアップしちゃうような状況ではいけないのか、という主張をする(無理めだな)。
4)最終的に、ペナルティであれ達成感であれ、死刑っていうのは、それもこれも全部、らち外の話としてしまうので、やはり人の手で行う社会的行為としては認めがたいのではないか、と言い張る。(やっぱりなんか変か?)

 という予定だったのでしたが、3)の途中あたりから、計画崩壊。挫折。どうも最近集中力に乏しいなあ。


 当日の様子は、いずれ人間研のHPに載る予定ですので、興味のある方はごらんください。

 次回は、7月18日(土)映画は『カナリア』。オオム真理教系の映画ですな。対談は、佐賀千恵美さん(弁護士)と中村正さん(立命教授)