4月1日

marumo552006-04-01

 これを書いているのは4月1日をだいぶ過ぎてます(3月39日くらいです)。年度末、年度初めの「おおいそがし」でまったく更新がないのもあれなので、書きます。
 4月1日のエイブリルフールって、忙しさに取り紛れて、なんにも嘘つかないうちに過ぎてしまうようになって久しくなります。
 この日の「嘘」っていうのは、微妙な文脈(コンテクスト)の中で通じる相手だけに通じる高級な比喩を楽しむ、けっこう文化的なものともいえます。ある相手に対するエイプリルフールの「嘘」は、別の人にも通用するとは限りません。つまり文脈がかわるからです。
 「冗談」とも共通するこの「ことばの遊び」、なんか昔より、むずかしくなってきている気がします。みなあまり「嘘」をつかなくなったのは、忙しくって嘘ついてる暇がないというだけでなく、そういう「嘘」が好意的にも受け止めにくい社会的状況になったのかも知れませんねえ。冗談が冗談にならない、そういう状況です。
 エイプリフフールは、もっと世間が画一的で、価値観やルールがひとつしかない時のほうがやりやすかったかも知れませんね。ま、そういう風に考えると、「うっかり嘘(冗談)がつけない」のは、多様な文脈が社会に共存できるようになったからといえるかも知れません。
 「心の理論」というのも、他者の文脈にのれるか(他者の行動を含めた状況が作り出す「条件性条件性弁別」に適当に反応できるか)ということです。自閉症とかの問題で論じられるときは、そんなのできなくても、素直に文言どおりに物事を信じられるほうが良い、と、あっさり断じてきたのですが、多文脈の共存という先の主張とは、ちょっと矛盾しちゃうかなあ。でもやっぱり「文脈まで思い至れよ」という押し付けがましい「おもいやりの強制」は嫌ですよね。「空気よめよ」という言い方が若い人にありますが、空気なんか読めなくてもしょうがいないすよねえ。というか、「空気よめよ」とか口に出して言うようなやつの空気(文脈)って、たいてい、ろくな「空気」じゃないだよね。

 間髪いれない反応が要求される状況、つまりは「他者に時間を与えない」状況が多いってことですかね。
 「対人援助」には、「待つ」「他者に時間を与える」という要素は不可欠なものです。他者には他者の文脈があるということを前提に、こちらも一呼吸おいて対応することが必要です(結局、空気よめってことか)。これは、リアクティブ(Reactive)ではなく、プロアクティブ(Proactive)な援助という場合のノリにも必要でしょうし、前に、オドナヒュー先生の講演の中であった(前のほうの日記参照)、Watchful Waiting というノリにも共通するかも知れません。

 ところで、今年、知りえた嘘の中で、けっこう面白いものは以下のものです。
 
レクサスが軽自動車をリリース、ハイブリッド駆動

2006年4月1日
昨年の日本展開以来、販売台数が伸びないでいるレクサスは、活況の軽自動車市場にこの秋から参入することになった。車名は『KS660h』となり、トヨタグループのダイハツからOEM供給される。

ダイハツの『タント』をベースにハイブリッド駆動システムほか、専用装備が付加され、価格は200万円を超えそうだ。2007年に1万台ていどの販売をめざす。なおダイハツ仕様(タント・ハイブリッド)は設定されない。

わかる人もわからない人もいるでしょね。

右上の写真は、「プロフィル」にも掲載しているジャギュアMKⅡの車検を通すのをやめて(ミッションの交換に120万かかると言われたので)、新しい通勤道具となった衣笠号(おす5歳)です。