コメントありがとうございます(5月7日改)。

marumo552006-05-02

 この間、たくさんのコメントを「コメント欄」やmailでいただいております。ありがとうございます。少しまとめてレスを書きます。

 ●mattaira様:確かに「逆援護」(以下のアドレス参照)の状況設定はできつつあります。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hs/ningen/NINGEN_2/02_075-083.pdf
 既存施設においても援助作業に対する評価の見直しなどを、改めて議論しているところもありますし、企業サバイバルという単純な動機が、サービスの向上を生むというこれまでにはない土壌ができたともいえます。ただ、そういう全体の社会的随伴性が企業行動や言語行動に影響を及ぼしているかというと、まだまだですね。
 一方で、前回の講習会で耳に入ってくる関係者のの意見の中には、ともかく従来の施設サービスの「継続」を前提として、作業移行をしたいとする本音も多々ありました。確かに施設存続や職員雇用の安定という意味では、無理からぬことではあります。しかし、既存組織の単なる連続で良いわけはありません。しかし市町村の現状の人材配置などで選択肢をきちんと提示公開するシステムというのはなかなか難しそうですね。
 就労支援などに関して、NPOなどを含めて新しいタイプのものもできています。そうした新しい選択肢も利用者が知り、公平に選択できる情報ネットワークやシステムをどこがどのように展開するのか、といったことも同時に進めていく必要がありそうですね。

● 如月さま:『実践障害児教育・第2回』お読みいただきありがとうございます。「本人のやりたいことの「選択肢」を押しつけないように、過不足ない援助を」という部分こそ、対人援助学の「肝」です。
 援助・援護・教授という分類を行うことの意味のひとつは、治療・教授的(=教授)な作業をする専門家が、自らの仕事に対するアイデンティティや忠誠心(?)から、他の方法(援助)になかなか移行したり必要な「援護」(社会への要請)をしないために「過不足」の中の「過」に陥ってしまう、という状況を避けたいということです。
 それと、まさに「援助→援護→教授」という連環を意識してこそ「対人援助の進歩」を考えることができる(目に見える形で示せる)ということです。
 「選択肢を押し付けない」ということに関する具体的方法の課題としては、消費者としての自己決定の尊重に際して、専門家や関係機関が優先的に行うべきことは、「その人にぴったりのサービスを(科学的に)知り、それを勧める」ということではなく、「選択肢とその選択の方法が当事者に対して常に公正に(しかも可能な形で)保障される状況を作る」という原則を常に確認するということだと思います。
 最近これに関連した話が身近にありました。私の親戚筋で、デイサービスを受けはじめた人(男性)がおります。ある日、リクリエーションで「折り紙」があったのですが、当初は満足されていたようですが、それを見た施設職員が(たぶん、この人はこれが好きなんだなと判断されたらしいのですが)、次の回も折り紙をやり、さらに「家に帰ってからも家族に作ってみたら」という風に勧めたらしいのです。ところがそれを聞いた本人は「馬鹿にしとる!」と怒って、それからデイサービスには断固行かなくなってしまったそうです。
 職員さんとしては、「利用者の好きなものを見つけてそれを伸ばす」といった、個別的サービスの一環のつもりで考えた方法だったのだと思います。上記のことは、一見正しいようですが、「好きなものを見つける」というのは、えてして「過も不足もある」サービスになってしまします。
 「過」は、昨日好きだったものは今日も好き、という具合に、固定的にその人の「好きなもの」を把握する(知る)ことがサービスの基本であると勘違いしている場合です。「知ること」について「過」であることが、一見、専門家であるような錯覚があるということです。
(もちろん「出来ないこと、不得意なことを知ってる」よりも、「好きなこと」を知っているほうが全然ベターですが)
 「不足」は、上記したように、常に「選択肢」を出したかということです。「折り紙もあるけど別のものもあります。どれをしましょうか」という問いかけを絶えず優先的にやるべきなのです。
 この「自己決定を保障する原則」については、1998年-1999年の「実践障害児教育」の連載にも書いてありますのでお暇な方はどうぞ。

●Fukukoさま: 土曜サービスありがとうございます。今後とも宜しくお願いします。
 写真は、Fukukoさまからの戴き画像:『ネコ作家:高原鉄男(1958生・長崎県在住)さんのベニヤ板に描かれたアクリル画でございます。画面には、「うずくまる猫も私も誰かにすがって生きている。」と「星野富弘相田みつを」風に書かれております』(Fukuko様めいるからそのまま引用)


○本文中の高齢者のQOLと選択機会(自己レス参照)にも関連する2004年度卒業のF君の修士論文アブストラクトは、応用人間科学研究科のHPにもあります。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsshs/thesis2004/n2004murakami.html