教科書のミス(22:00改訂バージョン)

marumo552006-05-11

 いろいろなメディアで教科書の記載ミスが喧伝されております。
たとえば、
 「ひらがな」と書くところを「ひらなが」とか、因数分解の解法の途中のxが書かれていなかったりとか・・・、「4月から中学校で使われている9教科134冊の教科書のうち、65冊に計208カ所の記述ミスなどがあったことが、文部科学省の調査でわかった。各教科書会社は文科省に訂正申請をしており、順次、正誤表などを中学校に配布するなど記述の修正を始めている」。(asahi.com 5月10日)
 ばかばかしい。
 検定したはずの文部科学省も、他から言われないうちに公表したのでしょうが、そのこともなんですが、だいたいそんなことを大きく取り上げるほどのことでしょうか?
 テレビでも鬼の首とったみたいに、「誰でもわかるミス」があったことを報道してます。
 昨年、JR西日本の事故とその報道に関してこのブログに書きましたけど、http://d.hatena.ne.jp/marumo55/20050505「人のミス」を罰や非難のみで扱う行動は、ミスそのものの低減にも、働く人のモチベーションにも悪い効果しか及ぼしません。というか、そういう技術的問題じゃなくて・・・。
 そのミスを報じる(タクトな)やり方について考えなおす必要があります。国家の品格じゃないけど、敵失(てきしつ:相手の失敗)を、ここぞとばかりあげつらうやりかた、尻馬にのって誰も反論できない自明なミスを、よってたかって非難する、というのは全く情けなくなります。
 授業でも、再三申し上げているとおり、事の内容だけでなく、「何を取り上げるのか」「何を報道するのか」「どう定義しているのか」といったことも行動であり、それは、事の内容の消長そのものにも影響を与えていくということを学生諸君は再確認してくださいね。対人援助には、そうした「事実」や「定義」の問題がやまほどありますから。
 だいたい、昔から教科書にだって誤植はつきものです。「子どもの教育に用いるものについてはひとつもミスがあってはいけない」という、一見、世間に受け入れてもらえそうな批判行動は安心してできる行動なんでしょう。
 普段から「負の強化」でびくびく行動している奴に限って、こういう行動傾向があるんですよね。強迫的な域に達してます。悪い意味での「お役所仕事」の典型です。「ミスのないように」そればかり気にして行動する人間は、もう新しい事を考えたりクリエイテティブな発想はしなくなります。
 誰にでもわかる誤植なんぞは、授業中に「あ、ここ間違ってますよね」と話題にすれば、その内容について生徒はかえってきちんと覚えるでしょうし、「書物に書いてあることに間違いはない」という誤った認識を持たないようにするリテラシー教育にもなるというものです。 「教科書の間違いをゼロにするように努力する」という文部科学省のコメント自体がすでに漫画。そんなことしているより、もっと大事な仕事がいっぱいあるでしょうに。
 みな西原理恵子を読めといいたいです。


       追加分情報


●5月15日用の応用行動分析学行動分析学特論の第4回資料(ABA4)に関して、
PPとPDFでアップします。
PP:http://www.ritsumei.ac.jp/kic/~mochi/ABA4.ppt
PDF:http://www.ritsumei.ac.jp/kic/~mochi/ABA4.pdf

上記の授業資料の中のページの中に、関連する当ブログの過去の記事にリンクするアドレスが貼ってあります。PPでもPDFでもリンクに飛ぶことができます。PPの場合、飛んだ後に、再び授業資料に戻るときには、タスクバーの「戻る」をクリックし、その後に出てくる「このファイルを開くか、または保存しますか」という質問に対して「開く」をクリックしてください。



写真は、曼殊院フェラーリレッドなつつじ。