研究倫理

marumo552006-06-07

 今年度は、人間科学研究所で研究倫理の問題を、プロジェクトを超えた共同研究のひとつとして検討することとなりました。

 すでに行動分析学会などの学会では、シンポジウムの開催や研究会を経て倫理規定や研究の指針のようなものが公表されています。立命館大学でもすでに個別の研究科やセンターが研究倫理の指針や研究計画に対する審議する体制を持っては
いますが、より統一的に公正なルールや検討組織を設定する必要があると考えております。研究所においても、このことについて、より研究的に「楽しみながら」検討したいと考えています。学部、研究科を超えた共同作業としてもぴったり。

 目指している「倫理検討組織」は、単に倫理や著作権などに関するコンプライアンスのチェック機能や危機管理だけではなく、「対人援助」などの領域では避けて通ることのできない、目標設定に対する価値観の相違などに由来する学内・外の「利益相反」の問題や、研究発表にともなう批判や中傷的な「攻撃」についても、これを個人の責任として対応を任せるのではなく、組織としても公正にかつ公明に検討・対応できるものを作りたいと考えています。

 ここでいう「研究」とは、講義の中で実施する実習なども入ると考えています。直接的に人を対象とした調査・研究活動のすべてについて考慮する必要があると考えています。
 教学と研究は分けるべきだという意見もありますが、わたくしはそうは思っておりません。
 研究入門などの初回生の授業における発表行動であれ、わたくしは立派な研究活動であると考えています。授業であれ、担任の教員や級友といった狭い対象のオーディエンスではなく、社会に向けて責任をもって公表するという自覚(権利と責任)を持ってもらいたいと思います。授業の小さなレジュメにも、きちんと名前と日付を入れろ、と口をすっぱくして言っているのはこのためです。これは学生諸君に発表の「自己責任」を問うているのではなく、研究あるいは実践というものは、すべて発表行動とその強化によって完結するものであるということであり、そのことを常に念頭におき、それぞれのレベルで自覚(使命感と自信と安心)を持って発表を行えるような体制を作りたいということです。


写真は、☆先生のリクエストによる私の膝(右)のMRIの一部。
「派手な壊れ方」というのはどこか、見てもよくわからんすけど。
学内「車椅子メーク」の駐車スペースを指定していただいているエビデンスとして常に携行しているものの一部。