障害者自立支援「審査会」

marumo552006-07-05

 3回目の審査会に●市まで行きました。いよいよ、1時間を切って行くことができました。査定では0円のレガシー君の調子もよくて。600CLのドライバーさま、山道で煽ってすいません。大昔とった「族」の杵柄がつい年甲斐もなく発露して・・・。

 審査会も3回目となって、いよいよ件数も増え本格的な作業というかんじになってきました。

 書類の最後につく利用者の日常生活状況の表にある「作業所」とか「授産施設」とかの名前が、これまでにも増して気になります。自立支援法によって、これまでいくばくかの賃金を受けていた利用者が、利用料を支払わなくてはならない、という状況がいろいろなところで出てきているようです。金額の多寡ではなく、この「逆転現象」というのはそうした施設に通う行動の「機能」をまったく異なるものにしてしまいます。もちろん市町村独自のシステムでそうしたことを避けるような手はずもいろいろと検討されているようですが。
 
 審査会では、基本的に利用者の社会的状況といった関係的な背景を容れずに、あくまでコンピュータで入力された(あ、別にコンピュータ使っても全然いいんですが)本人の個人属性的な状態を、行動障害、特記事項、医師のコメントなどと勘案して「程度」の妥当性をチェックするという作業が求められます。
 書類をみていくと、上記のような作業の結果として示された「程度」以上に、「ああ、これは大変だろうなあああ」と思われるケースがたくさんあります。

 審査というものの優先事項は、なんであれその審査過程が公平であることだと考えています。従って、中途半端に生活背景との関係的な判断を、今、個別のケースで恣意的に行うことは問題があると思います。現存のルールのもとでは、まずどのような障害程度の認定が行われることになるかについて顕在化し、その上で、その都度、システムの問題点を挙げるというアクションしていくというのがわれわれの仕事だというふうに考えています。

 「問題点を挙げていく」という言語行動は、もちろん単に審査会でたがいに愚痴を言うというのではなく、きちんと集約して県やさらに国へ発言していかなければならないし、そのためには、その具体的プロセスについても確認しておく必要があります。
 先にも記したように、市町村も、新しいシステムの中での矛盾を補うような独自の方策を一生懸命に考えているのだと思います。それはもちろん承知の上で、上記したようなボトムアップなプロセスについて明確にしておいて欲しいというのは、審査会メンバーの思いす。


昨日、自立支援法に関する話をテレビでやってた人、だれかビデオとっていた人がいたら、見せてくださいいい!!

 
 写真は、官と民、ではなく「公」を説く、田中康夫氏の「日本を」の表紙。田中康夫氏のこれまでの著書はいずれも「対人援助学」を考える上で、非常に重要だと思います。なんつっても、空論でも愚痴でもなく社会実践を伴う話ですし。国、県、市町村、という典型的な上位下達システムとしての自立支援法のシステムの作業の中で、ボトムアップな過程を期待するなどはすでにチャンチャラなのか?。行動福祉論から対人援助学へというのは当然なのかな?