「バリ心」(10月27日)

marumo552006-10-26

 10月27日の「バリアフリーのための心理学」は、濃添ら(2004)の論文の解題的な内容となります。「おつかい場面」で、どのようにケータイの特性を活かせるか?
そして訓練の過程でどのようなことがみえてくるか。
 濃添ら(2004)らは、「立命館人間科学研究所」のHPの刊行物の
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hs/ningen/NINGEN_7/181-191nozoe.pdf
からDLできます。
 明日(27日)の授業レジュメは、
http://www.ritsumei.ac.jp/kic/~mochi/BF4.ppt
 にあります。PPで貼ってありますので、適宜加工してください。

なお、携帯電話に関する研究は、「実践障害児教育」の特集「対人援助学のすすめ」11月号、12月号、1月号くらいまで続く予定です。今回の授業レジュメは、12月号の内容に対応する予定です。

 高校で単位不足のために卒業できるの、できないの、という事件がマスコミをにぎわしていますす。大学入試のために「効率よく」学ばせるためとか。世界史や日本史しらないで大学に入学してくれば、そりゃ「十字軍と赤十字の区別がつかない」学生がいてもしょうがないな(と、この話は、某R大学の体育会の学生さんの話ですけど)。
 
 校長先生も保護者には平あやまりだけど(しかし教育委員会って何してんのか)、テレビをみてたら「うちの子は、やりたい事もやらないで、ご飯も眠くなるからあまり食べないといって、無理しているのに、この上、補習までさせたらかわいそすぎる」って、泣いて抗議する親御さんもいたけど、なんだかなあ。
 
 根本的問題は、生徒自身に、自分が授業を受けるということに対する自覚の欠如じゃないでしょうか。もちろん「自覚の欠如」っていうのは、学校が決めたカリキュラムを一方的に生徒に学ばせるというシステムが生んでいるわけですけど。
 高校であっても、生徒自身が、どんな教育をどれくらい学校でまなぶ権利があるのか、あるいは必修しなければならないか、ということを、入学時からきちんと自覚できるようなシステムにする必要があるんじゃないでしょうか。

 と言う私なんぞは、大学院の最後まで、どの授業とったらいいかわからなくて、友達の真似して履修申告してましたが。