人間研シンポジウム「自閉症・アスペルガー」他

marumo552006-12-09

 12月9日はトリプルブッキング。
人間研主催シンポジウム「高機能自閉症児およびアスペルガー症候群児の早期発見と早期対応」http://www.ritsumei.ac.jp/kic/~mochi/1209sinpoposuta.pdf が、朝10:00時から夕方5時まで。最初の「あいさつ」をして、シンポを抜けて、学部心理のゼミ紹介と、宇治校生徒諸君へのインタビューのために校舎を走り回って、てんやわんや。学部生にも宇治校諸君にも、午後のシンポジウムの参加を呼びかけたけど、来てくれてたかな。

 さて、シンポジウムは、アラーキーセンセのコーディネイトによる上記のような表題のものだったんですが、実をいえば昨日、障害学で著名な倉本智明さん(立命の出身だったんですね)による「障害が文化ってホント?:障害の文化という視点」という立命館大学障害学生支援室主催の講演会もあって、参加していました。そんなもんで、どうしてもこの両者の対比を考えずにはおられませんよね。
 というわけで、高機能シンポでは指定討論の役だったんですが、そのことから入りました。「個人モデル」(倉橋さんの表現)と「社会モデル」という障害学的分類からいえば、まあ、この日のシンポはばりばりの「個人モデル」なんだけど、どーなのという話からです。
 そういうわけで、ちょっとアイキャッチな効果もねらって、「The sooner, the better? The later, the worse? 」http://www.ritsumei.ac.jp/kic/~mochi/sympo1209.pdf というかっこいいタイトルをつけてみました。上記のリンク資料の赤文字部分は、当日の発言要旨、その他の部分はPPで提示したものです。
 「個人モデルと社会モデル」については、ちょっと、「遺伝か環境か」みたいな(これは、いずれも「個人モデル」なんですけど)対比と誤解されちゃったかも知れません。発表者のひとりに、いまは「包括(総括?)モデルが常識です!」とか反論されてしまった。そうなのかな? 誰か、個人モデル(医学モデル)と社会モデルに並んで「包括モデル」てのがあるか調べてみたください。横に並べたり、足して2で割れるようなもんじゃないと思うのですけど。

 応用行動分析の代表としては、谷晋二先生の発表があり、谷さんには、私の上記の話をうまくディスカッションの時間にフォローしてもらって助かりました。
 さらに、もうひとりの指定討論者であった、石坂良樹先生(京都桂病院精神科部長)は、「早期発見は必要である。それは、定型発達を無理強いしないために必要だ」という、極めて鋭い指摘がこの日の愁眉ともいえるものでしたね。わたくしも、シンポジウムの中で、いちおう起承転結の「転」を目指したのですが、さらに明確な「転」でした。続いて石坂先生が発言された、「そのような否定型発達の援助のための具体的にどのような対応が必要なのか」ということこそ、本来的課題です。
 谷先生は、刺激等価性の原理を用いた、語彙や概念の新しい獲得の方法を紹介されましたが、これも非定型の学習過程のひとつかも知れませんね。
 私の指定討論の趣旨は、機能的行動の成立のための「援助-援護-教授」という連環的発展の中に対人援助の進歩があるとすれば、その中で、本日発表された様々な「対応」の方法は、そうした現時点での援助、援護の前提にたった、「新しい教授」になっているのか? 20年前の「対応」とそうした文脈的な変化があったといえるか? というものでした。
 「非定型な発達」というものを認めたうえで、「当事者個人個人にあわせたカスタマイズされたオーダーメイドのプログラムを作る」(谷先生)ということであれば、それはまさに、援助設定の上にたった新しい教授方法という連環的進歩があったという事ができるわけです。
 「非定型の発達」それを、自閉症独自の、とか、アスペルガー独自の、といった形に規範的にしてしまえば、一瞬、一歩前進かも知れませんが、新しい規範的な「定型発達」になっちゃうかも知れません。
 「人は発達するために生まれてきたのではない(非定型でOK)」。ではこの原則から、具体的では、どのような行動目標をたてていけばいいのでしょうか、というのが次なる課題ですね。


写真は8日の倉本氏の講演のときのものです。