行動分析学:スローな業務用心理学

marumo552007-04-12

POMOMEさんへの回答

《一見さんお断り》の話の中で、「繰り返しの中でしか、よいサービスを生むことができない。」とありましたが 社会や企業ではお金と時間が限られている場合が多いと思います。そんな中で、業務用の心理学として行動分析を応用させるにはどのように取り組めばよいのでしょうか。たとえば、対象が個人でない場合、ある程度の基準を設けることは必要ではないかと講義の中で考えていました。
例えば、個々反応形態ごとに異なる環境を設定できない場合はどのように取り組めばよいのでしょうか。

 良い質問をありがとうございます。確かに、社会や企業ではお金と時間が限られているという状態があります。それは学校でもそうです。時間やお金をかけずに客の満足を得る方法は、これまでの社会や企業の追及するところでした。福祉にお金をかけすぎていたとして自立支援法ができました。企業はお金をかけずに営業するために非正規雇用者をふやし、某大学では「相対的低学費」とかいって労働単価を低めています。
 また個々にではなく、いわゆる最小公倍数(最大公約数?)的な対応によって顧客に対応せざるをえない状況は確かにあります。家の天井の高さとか階段のステップの幅とかです。変えられませんから。
また、多くの一般的な製品は少しでも価格を下げるために、誰にでも受け入れられるような味付けのもので大量生産する方法を一生懸命に考えてきたわけです。また、最初から顧客の満足ではなく、何かを市民から徴収していくような作業(いうまでもなくこれはサービスではないですが)、そしてそれに伴って顧客(市民)を値踏みするための作業としては、身長や知能が平均値より高いか低いかといったことを、短時間で知る方法をとることになるでしょう。「顧客への値踏み」というと、ビネーテストの目的であった徴兵試験のことかと思うかも知れませんが、これまでの学校における生徒の評価というのは、一般的に、通信簿とかにかかれる数字やABCという「値踏み」です。そして「もっと頑張りなさい」とかも書かれます。もっとも学校の商品化、あるいは生徒の消費者化が、「下流志向」を作ってしまったという見方もありますが。
 短時間に低コストで顧客の満足するよいサービスを提供するにはどうしたらよいか、これが求められている課題です。もちろん無駄なコストや時間をかける必要はないのですが、人間を誰か一部の人ではなく、公共的に、つまりフェアなかたちで理解する必要がある場面で、どこまで切り詰めが可能なのか慎重に考える必要があります。
また繰り返しの確認が必要な場面というものが、顧客にとっても不利益や不満足を生む場合もあるでしょう。現状ではそんな場面のほうが目につきます。ゆっくり待っていられない。そういう事態です。でもその原因はどこにあるのでしょうか。その原因となっているものを解決するためには時間が、かかってしまうので、とりあえず短期的に行ってしまっているという事がないでしょうか。典型的には罰的な対応のように。(罰なき社会参照)
 「対人援助」という実践行為を考える上で、行動分析学でももちろんコストパフォーマンスというものを重視します。しかし信頼性のある人間の行動の把握には「繰り返し」が要求されるとしているのです。その意味、スローな科学なのです。
「スローな科学」、「負けの心理学」という意味での行動分析学についての見解は、以下のURLで「デニーズへようこそ、お客さまの平均年収は?」も参照してください。
http://www.ritsumei.ac.jp/kic/~mochi/thinkabout.html