行動的視点:聴講犬さんへの回答

marumo552007-04-22

4月12日のコメント欄における「聴講犬」さんからの質問(http://d.hatena.ne.jp/marumo55/20070412
にお応えします。
斜字は聴講犬さまの質問:
いわゆる「行動分析的な視点」というものがありますよね?「行動だけを見る」とか、「意識等は考慮しない」とか。こういった視点は、一般の方にはなかなか伝わり辛いと思うんです。対人援助の現場において、そういった「行動分析的な視点」を持っていない方を巻き込んで(要は手伝ってもらう)、実際に援助をしていくことがある場合、具体的な方法だけをお知らせするのでしょうか? それとも「行動だけを見ましょう」というようなところから、お知らせするのでしょうか?

 「行動だけを見る」「意識等は考慮しない」というのは、行動分析学的視点として、一定に正しいですけど、「意識」といわれる部分を「独立変数」として考えないという点が重要なのであって、考慮しないわけではありません。「意識」というものは、われわれは日常でその存在について実感しています。外に現さない言葉なんかも心の中で叫んだりしてます。従って、意識というものが存在しないとか、また「意識という言葉を使う世界がおかしい」とか考えているわけではありません。ただ「意識」というものを、別の行動(従属変数)の生じる理由として、これを独立変数として捉えるというやり方をしないだけです。
 聴講犬さんが以前のコメントにも書いているように、援助者の行動を修正していくそのひとつのステップとして、「意識」といった用語を使ったほうが便利なことはたくさんあると思います。犬を教えるとき、「こうやって具体的なことを褒めてやれば、犬の『意識』が変わってきますよ」みたいな風に伝えたほうが、飼い主の望ましい行動を維持増加させる可能性が高い場合もあると思います。ただ、さらにこの「意識」の変化をよくみてもらうためには、具体的には、「ほら、よく鳴き声を聞き比べてごらんなさい」とか、「声をかけたときの、表情がさっきと違うでしょう」といった指示内容へ展開する必要があります。
 ここで、飼い主が直接みている対象は確かに「外的に現れた行動」です。ただ、大切なのは、「行動の変化」あるいは「繰り返される行動」をみて飼い主やあなたは、その犬の「意識や内的状況」について類推している、あるいは、もっといえば「行動の変化のぐあい」「行動の繰り返されるぐあい」の名前として、「内的な状況や」「**意識」いった名称を用いているということです。

「行動だけをみましょう」というと、いかにも外的な「殻」だけみているような印象を与えてしまいますよね。「行動の変化をみてみましょう。そこに犬の意識もよくみえてきますよ」といえば両者、特に矛盾なく作業をすすめていくことができるのではないでしょうか。
ここでも、何か、常にその瞬間だけの行動をみて、どうこう言うのではなく、絶えず、その変化や維持の過程を「くりかえし」みないと、「行動をみる」ということにはならないのです。これは既にこのブログでもお話ししたとおり。科学的対象としての行動とはこういうことであり、さらに日常的体験とも齟齬はないでしょう?