携帯禁止・英語は小3から

marumo552008-05-28

 教育再生懇談会で、小中学生に携帯電話を持たせないようにする、英語教育を3年生から必修なんて提言したようですねえ。
スパムメイルは確かに1日に100本はくるけど「有害情報」って言われてもなあ。どのみち情報から遮断することなんかできないんで、お金目当てアプローチしてくる有害情報なら、金にならない小中学生に対する配信など、それほど業者ががんばるとも思えないのですけど。ろう重複の障害のある生徒や成人の「トータルコミュニケーションマシーンとしての携帯電話」という文脈での研究を、科研費さえもらってやっていた立場からいうと、くさいものにはフタではなくて、有益な使用法についてもっと積極的に教えるべきなのではないでしょうか。
 そもそも「知らない人に道を聞かれても答えちゃいけない」とかいう指導も、もちろん現実的にはわかるけど、なにか糺すべき変数は他にあるように思うのですが。さらに携帯電話については、GPS機能はOKって、いかにも教師(親)が一方的に当事者を「知る」という一方的なコミュニケーション−それがゆえにいろいろな学校や教育問題も起こっているんじゃないのか−の方向には全然問題性を感じないんだな。

 小学校3年生から英語をやる、という話は、またぞろ「教育のコンテンツ」に関わるもので、「週に1時間増やすの増やさないの」という量の問題もふくめ、「量かコンテンツ」って、安西先生しっかりしてくださいよ。認知科学ってやっぱりその程度か? 「数学が嫌い」と同様「英語が苦手どころか嫌い」っていう人をさらに増やすと思うな、このままでは。小さい時から日常会話とかに馴れていれば、そりゃ海外旅行でガキがホテルマンに生意気なあいさつするくらいの事はできるだろうけど、しょせん小3の英語の中身って、小3の日本語の域を出ないわけだし(自分の英語は保育園年長にも達してないとは思うけど)、それができてどうする? その前にまず日本語だろ、とか言う気はないですけど、ちびの頃から外国語でもって思考するっていうのは植民地化(=同化政策)じゃないか。むしろ「手話」を3年生から必修にして、ダイバシティとか異化とかいう概念や枠組みを体感させたほうがずっと国際人を育てないか?

 英語を習得するとき、日本人はシャイだからあかん、とかよく言います。「日本人がシャイな性格な民族だ」なんて誰も思ってないと思います。こういう個人属性(知能や性格や血液側や星座)に帰属させたり、量や時間をかければ学習が進むとする教育界の伝統にこそ問題があると思います。
 他の教科でもそうなんだけど、英語の場合、学習方法ってのは、「言えないと恥ずかしい」「正しい発音ができないと野蛮人」みたいな、徹底的な負の強化を用ることが当たり前になっているような気がします。生徒の発音聞いて、「いい発音でしたね」なんて社会的強化も、よく考えるとあまり英語教育として良いものではない。だいたい日常生活の中で「あなたの発音はきれい」ってそういうお褒めも非常に同化的で不愉快だし、ましてや「発音がわるい」なんて、その言葉のネイティブなんかに言われたら、てめ、何様だってな話ではないか。学校というのは、とかく、一般社会より厳しい強化基準で教えることが多いんだけど、実は、その「厳しさ」つき随伴生というのは、本来のコミュニケーションの機能的成立こそ大切な言語学習では、まったく的はずれな機能を学習させかねない。恥をかかずにすんだ受業が、当事者にとっては、良い英語の勉強の時間だ、なんてのは、そりゃ、できればしゃべりたくなくなります英語を。

 「負の強化」と「反応形態重視の教育」って、要するに行動分析学的な方法とは、正反対であることがわかりますね。だいたい、社会で大活躍している人の英語って、すごく流ちょうかっていうと、そうでもなくて「これってローマ字?」ってくらい平板な発音だったりするじゃないですか。だいたいねえ、RとLの区別がついてないから意味取り違えるって、そりゃ聞き手のほうがよっぽど文脈読めないKY人間に決まってるわけじゃ。わたくしも30年ほどまえに、アメリカで最初の発表のとき、レスポンスパターンの「パターン」を、「ター」にアクセントつくような日本語表記的発音して、強化のスケジュールについて研究発表をしたんだけど、後でネイティブのおばちゃん(これは後のステファニー)が、あんたの「behavior パターン」はさっぱりわからない。patternは、パットン戦車団のパトンみたいに、あるいはチアガールのバトンのようにパトンと発言しなくちゃ、全然通じないわよ、って教えてくださったんだけど、わかってんじゃないか、ほんとは何をいいたいか。


 それはそうと。M3竹内君、そろそろ姿を現しなさい。いまなら十分いろいろな事がまにあいます。