心理学リテラシー(入門AO)「ようこそ先輩」

marumo552009-07-04

 昨日3日の研究リテラシーでは、学部の先輩を招いて、1回生に勉強や就職などのことについて自らの体験やアドバイスを語ってもらうというセッションを行いました。入門AOクラスでは、marumoゼミの3回生1名、4回生2名を招いて話しをしてもらいました。
 
 いやあ、当初はどうなることやら、とか心配してたんですけど。プレゼンの資料とかあるんかいな、とか、自分の「キャリア」について語れるんかしら、とか、そもそも、前の週のゼミで全く適当にみつくろった感じで依頼しただけだったんで、そもそもこの授業のあることを忘れてないだろうか、とか。

 いや失礼しました。3人とも実に立派にその役割を果たしてくれました。2回のときはオリターをしてくれてたS君、教職志望でがんばっているKさん、就職が決まったばかりのTさん、この3人ともに、まさに1回生という聞き手にふさわしい自分のミニ歴史を表現してくれました。

 1回生に入ったときの「自分」、2回生で授業を聞いて変化した(あるいは揺るぐことのなかった部分の)「自分」、そして「今の自分」がみずからを表する「自分」、なんと、しっかり表現できていることか。ゼミでは私も知ることのできなかった(単なる怠慢か)彼等の「頼もしい部分」を私も再発見して、思わず涙ぐんでしまった(嘘)。

 1回生諸君も普段の研究入門やリテラシーの時間より、熱心に先輩のプレゼンテーションを聞いていたな。普段もこれくらい熱心に聞いてよね。ってくらいだな。

 授業後のコミュニケーションペーパーをみると、元気になったり、勇気がでちゃったり、感動しちゃったり、する人が大部分です。まずは大成功ですな。ゼミ三人衆、ありがとう。お父さんはうれしいよ。てか、君ら、弁が立つな。プレゼンうまいな。自己啓発セミナーの講師にすぐにでもなれるぞ。いや、良い意味で。

 1回生の諸君の質問タイムで、おどろいたんだけど、「周囲から『文学部なんて入っちゃって大丈夫?』って言われて就職心配なんですけど」って不安を持っている人がいるみたいなんだけど、これは先輩も言下に回答したように「なに言ってんのよ。心理といえば、食いつきいいのよ」。
 君ら(1回生)のアイデンティティも社会的ポジションの認識も文学部なのか。それはもちろん大切なことです。これ自体も実は社会が現在望んでいる「人間像」には近いんだぜ。しかし、とりわけ「心理」を学んでいることは、「即戦力的な」といった狭い意味(しかも先輩の話しにもあったようにそれが本質ではないんだけど)でいっても、充分、求められています。

 しかし、先輩諸氏(お、今までにないレスペクトな呼称になってる)も、いみじくも言っているように、細かい中身の問題や就職試験の一点突破の問題でもなく、プロセスにおいてどのように自分をキャリアアップさせていける(いけた)か、ということです。

 と、しかし、そこで、勉強や研究ではなく、大学生活においては、専門の勉強以外のクラブ活動やボランティア活動などで色々体験するのが大切なんだ、という、よくある「大学生のキャリアプラン」を(これが結構、公式アドバイスであることも多い)、短絡的に思い描かないで欲しい。もちろん学外活動で多くを学ぶ人はたくさんいます。今回の先輩諸氏の話の中にも、確かに、クラブや学外活動の話もありましたが、それは、たまたま彼等のアクションの結果であって、それが全てというわけではありません。

 学外活動やボランティアでは、その都度、目的や課題が明確であり、このことを語る人は、様々な理由で自分が「リーダーシップ」をとらなければならない、というか、とることの出来る環境であり、そのことで多くの学びや自信につながったんだと思います。そして、なるほど彼女はこの経験があってこそ、現在の卒業研究のための実践現場での振る舞いが可能になったのか、と思い当たることもありました。この状況こそ大学としては理想的なかたちであるかも知れません。

 しかし、勉強や研究活動においても、リーダーシップをとらなければならない場面はあるんです。っていうか、私に言わしてもらえれば、この大学の中心的な活動の中にこそ、そうした機会はあると思うわけです。しかし、どうもそう考えられていないふしがある。これは行動分析的(?)にいえば、研究入門、ゼミ、授業、つまりは専門的学問としての「心理学」を学ぶ大学の環境というのは、そのような独り一人のリーダーシップが発揮しにくい場面だということも言えますね。リーダーシップというのを簡単にいえば、「教える」という事だと思うわけです。課題について他人の指示を待つのではなく、自らが解決策を提案するということであり、時に、それはグループであり、その態度は、自らに対しても向かえばセルフ・マネジメントとなるわけです。そういう機会を、大学(教員)が充分に提供できていない?ということですね。

 これまで、そんな勉強や研究面で「リーダーシップ」をとるようなことができるのは、将来、大学院へ進み、研究者を志望する人ではないか、と考えがちですが、それは違うんですよね。というか、逆に、大学院にすすむ人の中には、就活で「自分のキャリア」とかを表現する機会もなく、そのまま自分の事を考えるいとまもなくそのまま進学してしまうことになり、これは、実は、大学院に入ってから大いに苦しむことになります。
 
 最近、大学院の諸君に、下級生のための「学生による学生のための情報検索マニュアル」を制作してもらいました。これが、期待していたものより、ずっと立派なものができちゃって感激してるんですけど、これも「教える」ことを想定した形の残るリーダーシップ活動場面だと考えています。下級生諸君はそのあたりも鑑賞しつつ、このマニュアルを使ってくださいね。
 こういう「かたちある(具体的成果が残る)リーダーシップ」を促進する、試みをもっと準備しなければ行けないと痛感した次第です。

 1回生諸君には、先週「研究倫理」の話をしました。そこで、「君らはもう専門家なんだよ」、それゆえその権利も義務もあると言いました。どんな授業内のレポートでもプレゼンでも、ただの「学校の宿題」(先生の評価が一義的)ではなく、プロとしての社会へのメッセージのつもりで、責任をもって社会に提案・公開するつもりでやってくれ、と言いました。これも一種のリーダーシップです。わかってくれたかな?

 当初、この「先輩ようこそ」のリテラシー授業は、1回生よりプレゼンをする上回生のためになるな、と考えていたんですけど、これは、実は、教員の教育の場でもありました。いわゆるFDですな。3人のプレゼンテーターの諸君と、研究入門AOクラスのメンバーにおおいに感謝します。