行動分析学会 at 筑波大学(3)

marumo552009-07-11

 これを書いているのは実際は13日(月)です。シンポジウムの時間切れ(!)に責任をとらせていただく、ということで、当日の問題について、公開で討論する、ということを勝手にやらせていただくことになりました。
 
 このブログでは主に裏話にして、まじめな議論は、武藤先生が作ってくれた新しいブログで進めたいと思います。そのURLは。
http://no-choice-no-life.seesaa.net/ です

 当日の発表資料は、指定討論者のみなさまの分も含めて、可能な限り、上記とここのブログ、および私のHPのほうにも、まとめてアップする予定です。HPの場所は、http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~mochi/ ですが、先頭ページに置きます。

 裏話その1:今回、No choice, No life という武藤先生のかっこいいキーワードは実存的方向性と、さらに、その選択について「表現する」ということが含まれるように思います。自らの選択の根拠を自らが表現することが、行動分析学のもつ特徴であり、それは倫理的特性といってもいいと思います。島宗先生なんかもよく引用してくださるのですが、「業務用心理学」たるゆえんはそうしたところにあると思います。

 昔むかし、わたくしめが、大学の院生か助手だったころ、当時、一緒に研究していた(現在、某K大学教授の)Y先生(当時はただのヤマモト:仮名)と、日吉で自閉症の子の実験した後だったか、二人で、夜の東京湾にドライブに行ったんですね(現在の社会的常識や私の価値感、QOL基準でいうとかなりキモイ行動だな)。で、そんとき、「あのさあ。行動分析が持つ一番のメリットってなんなんだろう」と、何気に(夜景や他のアベックをのぞ・・)聞いたとき、彼は、かなりきっぱり「それは、研究者自身の行動も、同じ枠組みで理解・記述できる点だと思いますよ(というような意味のことを)」きっぱり答えてくれたんですな。それは非常に印象的でしたね。
 今回のシンポジウムで指定討論の井上先生が、「むかし、marumoに『君自身の強化随伴性はなんだ』みたいなものを迫られた」てなエピソードの紹介がありましたけど、それって、このへんが起源?



写真は、カメラマンに強制的に「CKBサイン」をさせられている福岡教育大学の藤金先生のご一党さま。集中よろしく。休日をねらって1000円でetc旅行を試みようとしたんですが・・・