NAVI休刊

marumo552010-01-23

 二玄社の「NAVI」が休刊になりますねえ。寂しいなあ。1980年代の最初の頃に創刊だったと思いますけど、その時からずっと購買してたんですけどねえ。田中康夫浅田彰の対談連載はじめ、当時の「思想界」(?)ひっぱる車雑誌だったんだけどなあ。高級な床屋政談雑誌みたいな。若手の小説家なども発掘したりして大変センスも方向性もよい雑誌だったのになあ。最初は大川悠氏が編集長でスタートしたころは、ほんとに既存にはないコンセプトの本でした。わたくしめは愛知県コロニー時代でありまして、「コロニー新聞」みたいのに、NAVI的な感覚で、車のハイラルキーになぞらえた障害問題のとらえかたみたいな記事も書いた覚えがあります。

 しかしなんといっても、NAVIといえば笠井潔氏で、「アナルコキャピタリズム宣言」の連載から、ずいぶん当時実践研究していた自己決定の問題について勉強したな。とくに、「自由」という意味を公正な交換という風にとらえる考え方は、後に、自己決定を保障する環境設定としての「校正交換指標」(Fair Exchanger Marker :FEM)などの考え方のもとになるものです。二者選択場面で「交代反応」ばかりを示す施設利用者に、ほな「お金はらって選んでよ」という状況を設定すると、きちんと反応が分化するという実験(「言葉と行動」ブレーン出版参照)も、このNAVIの連載からヒントを得たものです。特に印象的だったのは、人権というのはどのように生まれるか、という議論です。「もし飛行機のタラップを二足歩行でおりてきた毛むくじゃらの動物は果たしてヒトなのかサルなのか。ここでDNA鑑定という手もある。が、しかしその動物が毛皮の下から金の延べ棒を出したとする。そのとき、われわれが、その動物の頭をなぐってその延べ棒を搾取しちゃったら、その時点でタラップから降りてきた動物はサルになっちゃうんですね。そうはせずに、われわれがその金の延べ棒をもらう変わりに相応の現金を手渡して交換したら、そこでその動物はヒトになる」というたとえ話がありました。
 
 「人間は生まれながら人権がある」といったルールとしての人権宣言があり、じゃDNA鑑定して生物学的な属性としてヒトだと判明したら人権が生まれるというのでは全然ないわけです。相手の生物学的属性が人権の「権利」ではなく、人権は、あくまでその個人とわれわれ(あるいしゃ社会)との「関係」として表現できるものでだということです。とすれならば、人権とは公正な交換が必要条件となる事態を創造することで初めて生まれるわけで、これは積極的に社会が維持していこうとする意志をもたなければ、絵に描いた餅にさえならないということになるわけです。
 豊臣秀吉は、楽市楽座で税金免除で商業を発展された、というのも、これは、対等な交換の設定を保障したという意味で、自由をあるいは人権を創りだしたとも言えるわけです。

 わたくしのホームページに「最近考える事」にある「改訂版、デニースへようこそ、お客様の平均年収は?」には、福祉や教育の文脈を離れて、商いの論理(倫理)をもって「可視化できてそれゆえ定量できる人権をボトムアップする」という作業にも触れていますが、こうした「権利のボトムアップ」(行動選択肢の拡大)こそが、まさに障害のある個人の支援の基本であろうということです。
 
 この「アナルコキャピタリズム宣言」は新自由主義の思想モデルというより、二人称的行為としての対人援助を考えるときの「行動モデル」ではないかとそのときは得心したものです。それなんで、実は、名古屋にて行動分析学会を開催した際に、笠井潔氏を特別講演者として、長野の山奥から招待するという段取りだったのですが、当日になって、どたきゃん。ま、確かに、あんまりそういう細かいコンセプトの共有とかつめてなくて、行動分析学会なんて、いかがわしい集団じゃないかと思って、気がすすまなかったんだと思います。かつての運動家グループの旧友の方も会場で待ってイラしてて「ったく、あいつしょうがないな。久々にここであう約束したのに」っていうことで、最期までほんとに来るつもりでいらっしゃった信じてます。

 しょうがないので、その頃、新刊書として出版されていた「アナルコ・キャピタリズム宣言」に、すべて笠井氏の直筆のサインを書いてもらって、当日の学会会員に全部郵送するというサービスをしたという、いまとなればなつかしい話です。それでも黒字出しましたけどね。

 すいぶんNAVIに学びました。どんな深刻な問題でも、どこかにポップなスタンスをとる必要があるとか。党派制をとって群れで主張しないとか。

 最近は、「こじゃれた」そのへんの学生なんかは一見さんお断りに近いファッション情報と、車のわりとソフトな問題、それでも、ドン小西とか面白いヒトが書いてはいたんですけど。えのきどいちろうもずっと連載エッセー書いていたし、しばらく前にやめちゃったけど神足祐司(だったか)もいたし。
彼はNAVIにだけは真剣勝負で原稿書いてたみたいですが。そういうわけで同じジャーナリストでも、この雑誌に書くときは、一番能力前回で本気で書かないといけないな、という緊張感はあったと思います。

 
 写真(図)は、このブログの先週のアクセス数。試験当日がピークでみごとなスキャロップ。