第28回日本行動分析学会

marumo552010-10-09


 行動分析学会が、神戸親和女子大学で開かれました。色々な方にお久しぶりでおあいしました。コロニーの皆様も初日にご挨拶しただけで失礼しました。差し迫った仕事が入ってろくにお話もできずに、自分の発表だけで帰京してしまいました。ところで、親和女子大学は、藤原紀香さまの出身大学だったんですね。
 というわけで、わたくしめは、学会企画シンポジウム(倫理委員会)「行動分析家が人を対象にした研究ならびに臨床的活動を実践するときに必要な倫理的配慮」というセッションで、話題提供者のひとりとして、「IRBとしての『人を対象とした研究倫理委員会』を立ち上げるとき−行動分析学あるいは対人援助学の立場から」というタイトルで発表させてもらいました。
 企画は常磐大学の森山哲美先生・司会者は関西学院大学の中島定彦先生、話題提供者は、先頭が、東京成徳大学大学院の中野良顯先生、私、そして慶應義塾大学坂上貴之先生、指定討論が水戸総合福祉専門学校の渡邊修宏先生、そして同志社の武藤崇先生、という陣営。
 中野先生の発表は、「行動療育家養成の視点にたった倫理」というタイトルで、応用行動分析(ABA)自体が持つ倫理性の再確認と、それにともなう自閉症の子どもたちを教えるセラピストが備えるべき内容とそれをいかに養成していくか、という「二人称的」行為としての倫理のどまんなかのお話。坂上先生は、「倫理的随伴性がもたらすもの:ヒトを対象とした心理学実験の研究倫理」で、広く実験心理学的な領域を中心とした倫理の意味、あるいは倫理的行動と呼ばれるものを取り巻く随伴性についてのお話でした。企画者も発表者の方たちの大部分は、日本行動分析学会の倫理委員会を長年担当された「プロ」で、そういう意味では私は、混ぜてもらったくちです。私の話は、学生も研究者でありまた教育という作業も含まれる大学という特有な組織におけるピアレビューグループとしての「人を対象とした研究倫理審査委員会」の設立の経過の言わば事例報告でした。
 例によって(?)指定討論やフロアの方とのディスカッションの時間がなくて、中途半端なお答えで終わってしまいましたが、渡邊先生、武藤先生、ごめんなさい。渡邊先生の現場サイドの立場からみて「研究のための研究」あるいは「研究がおわったらさようならの研究者」、「研究趣旨の理解にどれほど時間がかかるか(わかりにくい)」といったご指摘、同じ渡邊先生が遭遇された、今度は研究者の立場として「研究の途中で現場から研究拒否の表明をされた場合」など、対人援助系(二人称系)の研究ではわたくし自身もすべて指摘されたり体験したお話でした。
 いわゆる学校や福祉領域における「研究協力」という関係というのはどうも抵抗があります。坂上先生も関連した問題で指摘されていたように、研究者どおしのみでなく研究者(普段、対象者の援助に日常的に関わっていない人という場合が、この場合想定されます)と実践者(日常的に援助をしている人)は、あくまでコラボレーションの関係が成立することが不可欠だと思います。実践と研究をわけてしまうのではなく、実践=研究という図式を前提とすべきだと思うわけです。実践=研究というのは、私の発表でも強調(したつもり)なんですけど、職業的対人援助者は「黙々と実践する」だけではなく、自分の仕事(対応・介入)が当事者の行動にどのような影響を与えたか、について記述・表現することも必要だということです。そこに求められる表現の方法こそが、行動分析学なんですよね。
 一方、自分でも「おや」と思ったんですけど、対抗制御ということについてです。わたくしの考える研究倫理の基本というのは、坂上先生が既に発表している当時者による職業的援助者の行為に対する「対抗制御(counter control)」の回路の確保なんですよね。これは具体的には否定選択肢の常駐といった具体的な形で、常にインフォームドコンセントとしての「参加の確認」をし続けるということなんですよね。対抗制御っていうと、問題行動や攻撃行動が援助活動の途中で出てきてしまうと、なんかよくないことのようですが、「倫理的問題」からいえばこの行動の自発の担保こそが必要なんじゃないかということです。
 以下に、私の発表のPPをリンクします。
http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~mochi/jaba10lasthaifu.ppt
 この資料の中に、「研究倫理の居場所」というスライドがありますが、「安全」、「コンプライアンス」ではない「倫理」固有の領域部分は、「研究者と対象者のコラボレーション」というふうに表記してあります。あまり熟慮した上で記述したもんではないのですが、先の坂上先生の発言内容にもあった研究者間のコラボレーションとともに、これがひとつのキーワードになりえるのかな? 研究者と対象者が利益相反するから「研究倫理」は必要なんだ、というのがこれまでのひとつの流れといえると思うのですが、そういう流れではない、新しい「倫理的文脈」として、コラボレーションという概念が有効なのではということです。
 
 IRBとしての「人を対象とした・・・・」の作業の経過の中で、行われた立命館大学の研究倫理の検討にかかわる関連資料としては、以下のものもご覧ください。
http://www.ritsumeihuman.com/hsrc/resource/05/open_reseach05.html

 写真は、学会前日の夜に泊まった新神戸駅の近くのあやしい中華料理屋さんで一人でたべた「ほんものではないけどおいしい」と説明書きにあった「坦々面」。確かにおいしかった。