援助のみかえり

marumo552011-04-23

 今回の震災に対する大学としての支援については、大学のHPにも「東日本大震災被災地でのボランティア活動について」というタイトルで、ボランティアの注意事項などと、外部の組織に相談せよ、といった案内、そして独自には、311+Rnetというサイトが立ち上がって様々、情報があがってます。

 大学全体としてどういう支援体制をするか、といった内容については、現在、生協の食堂の料金10円分を募金にあてる、といった極めて具体的なシステムを始めているところもありますが、ひとつの「企業体」としての立命館大学がどういう方針で事にあたるかということは、まだ模索中のようです。

  いずれにせよ、今回の災害については、これはまさしく未曾有であり、従来のスポット支援ではなく、10年単位の継続的支援のパラダイムを考える必要があると思います。

 自粛を自粛するという方向性も確かに重要だと思います。災害を常に心におきつつも、これまでの活動について粛々と進める、ということはとりわけ経済的な意味でも必要なことであるといわれています。ただ、今回の災害については、粛々と進める日常活動そのものの中にも、今次災害の支援や継続的支援の延長として防災を含めた支援のシステムのありかたについて、時間や労力を割いていく必要があると思います。
 アメリカにおける911の以前と以後の違い以上に、日本の311は様々な意味でひとつの歴史的分水嶺になると思います。大学における授業や教学内容についても、具体的支援のみならず、将来の社会設計に関わるコンテンツや議論を行い、これを発信することが求められていると思います。
 
 応用人間科学研究科には、「対人援助実習」という科目があり、従来、院生自身(教員設定もある)が
、広義の意味(なかにはこれまで文献研究さえあった)での対人援助の実践をレポートするものがあります。
 某会議で、この実習科目を利用して、この実習内容に、今次の震災の「ボランティア活動」も認めて、単位化はもちろんのこと、旅費、装備、の経費もこの実習に使える予算をあてる、そしてこの際だから、応用の院生のみでなく他研究科の院生も単位等履修生として登録可能にし、事前学習の後に当地に行き、レポートもする、というシステムを提案しました。実習ですから保険制度もすでに前提となっています。
これは日常の活動に、プラスアルファとして支援するのではなく、日常教学活動の一部を(既存予算も含めて)支援のために使うという発想です。

 この提案をした後、文科省からも「ボランティアを単位化せよ」みたいな指令が出てしまって、それに対する反発もあいまって議論が進展しにくくなってしまったのですが、それ以外にも内部から上記プランに対する反対(?)意見として以下のようなものが挙げられました。
 「ボランティア活動に単位を出すとなると、あちらの現場で、確かにここで実習したというサインを被災者の人からもらう必要がある。そうなると『あなたは自分の単位のために支援に来たのか』というふうに非難されるのではないか」というもの。
 学会出張でも「現地のコンビニの領収書もらってこい」に似たコンプライアンス根性には言葉もなかったけど、もう少し大きな問題として、ボランティア支援に対して一切の「みかえり」があってはならないのだろうか。単位と旅費を出すのはボランティアとは相容れない? 
 サンデル先生ならどうする?
  
 実は、正直にいいますと「じゃ、まず望月先生に現地へ行ってもらって、コーディネーションしてもらいたいんだけど」といわれて、「そりゃ経験的、体力的に無理。プロのコーディネターを非常勤として雇用しましょう」って、思わず逃げ口上を言ってしまったので、決してえらそうにはいえないんですけど。