体罰、連帯責任、丸坊主

 某高校の体育における教員による体罰に起因するとおもわれるスポーツ部員の自殺の問題に対して、当事者教員だけでなくその学校の教員全部を入れ替える、またその当該のクラスの受験停止という、体罰にかかわる対応が問題になってます。少し前のは、いじめが理由の自殺も延々と問題になってましたが、以来、日本女子柔道部のコーチによる体罰、そしてそれに続いて、ほかの学校からも、教員による体罰もぞくぞく明るみに。
 大阪の公立高校の事件では、かの橋本市長は自身もラグビー競技のプレイヤーだったせいか、最初はあんまりはぎれのよいコメットしてなかったのが、桑田にさとされたのか、体罰完全否定派に。
 橋下知事の次の判断は、件の体育クラスの入学停止や教員の総入れ替えという処分の要請だったんだけど、要するに、罰を使用した教員や学校へのこれもまた厳罰による対応で、結局、罰操作が延々と続くことになってしまう。これでは「地位の高い人間」がそれより低い人間を罰でもって懲らしめるという、同じ流れであって、そこに本来あるべき教育的作業が含まれてないんじゃないか。
 またまったく別の領域であるが、AKBのひとりがお泊りデートが発覚して、みずから丸ぼーずにしたところをYOUTUBEにアップして泣きながら謝罪したというが、世の中、罰ばかりじゃないか。丸坊主になるって、セルフ体罰

 こんな調子じゃ、体罰はなくなりっこないような。特に大阪の連帯責任的対応は、実は「罰による操作」を立場の強い人が反発のできない人におこなうパワー体罰の典型なんじゃないか。橋下は桑田の話を本当に理解できてんのかな。