ありきたりですが

先日、紙ヒコーキさんからコメントいただきました。
『「こういう時は、こう言っておけば安全!」みたいなパターン化された思考を止めるためには、どうしたらいいのでしょう? 何に気をつけたら、よいのでしょう?』
 本当はパターン化された思考なんかしてないと思います。人それぞれの感想や思いがあるんだと思います。
 その上で、どうしたらいいか、という事を考えると、ありきたりですが、マスコミ報道などの問題提起については、常に「問題提起のしかた」そのものを疑う(考える)ということが必要でしょうね。報道が「嘘かほんとか」という二分法ではなく、誰が何のために(どういう社会的強化の随伴性で)そのような問題提起や設定をするのか、という事を考えるということです。ようするに文脈です。


 ところで、例のJR西日本の社長なんかに、罵声を浴びせてた記者は、さすがに行き過ぎということで問題になってますよね。今は静かに話を聞いてるだけだとか(これもマスコミ報道からですが)。でも彼は、「攻撃するばかりでいいのか」っていうことをみんなに気づかせた点では(そういう意味で機能的には)えらいよね。
 報道の仕方といえば、また「視覚障害のある夫婦が『錯覚』で、ホームから転落してしまった」というニュースがありましたね。もちろんすぐにホームの構造を変えなくては、という話になってますが、あくまで「ホームの構造に欠点があった」のが原因です(行動福祉心理学の授業をとっている人には、10年前の全く同様の事故報道についてすでにレポートを書いてもらっていますが)。

本日は、「ななぶんのいち」で「野菜のパスタ」(メニュー外:「太らないで元気のでるもん作って」)