作業ミス(4) ご利用は計画的に

 今回、近場の引っ越し(直線距離にして800メートルくらいか)ということもあり、旧アパートの明け渡しの日程を決めた後も、のんびりじわじわ時間のある時に自分の車で荷物を新居に運んでいました。なんとかなるだろうと。ところが、あと1週間という頃になって、このままでは期日に間に合わないとやっと現実を認識して、あせあせと手当たり次第そのへんの物を持って運んでおりました。
 で、あげく最後の2、3日くらいのところで、実に「家財の分布」がはんぱなことになり、どうやって生活するか実に難しい状況に追い込まれました。新居で風呂に入り、食事は外食、寝るのは旧アパートというちぐはぐな生活。ま、ネット環境が変わって旧アパートで使っていたADSL回線上でのプロバイダーが新居では使えないことが、かなりせっぱ詰まってからわかったこと、電話回線の移行を、明け渡し日に設定していたという事情もあるのですが。
 自慢じゃないですけど、もともと何か戦略的に事を運ぶのが苦手なタイプです。院生の頃、数理心理系の授業中に(苦手な授業:多くの動物系の学生は逃げまどっていたが必修)、課題解決のデモで他の学生の前で黒板に書かれた問題(虫くい算みたいなやつ)を解かなきゃいけないという場面がありました。その時、「心に思いついたことを全部口にしながら解くように」という教授の注文があったわけですが(本来、そのプロトコル分析がその時間の趣旨だったわけですが)、当方、全然、頭になにも浮かばなくて「エイ!」とか「ヤ!」とか、かけ声しか出さないで、悪戦苦闘の試行錯誤してたら「君はハトかね」と揶揄されて、被験者不適として選手交代になりました。屈辱。
 ところで、引っ越しにまつわって、認知心理の専門家でもなかなか戦略的には事を運べないという事例を紹介します。江戸の仇を衣笠で。
 認知心理が専門で私も尊敬する★先生は、約6ヶ月早くほぼ私と同じパターンで引っ越しをされました(私の今回の新居も★先生がネットでみつけてくれたんですが)。で、そのときのエピソード。やはり引っ越しの最終フェイズで、最後に旧アパートの天井の蛍光灯を抜く作業をしようとした時、踏み台となるような机・椅子の類は、すでに新居に運んでしまった事に気づいた。さて、どうしよう。今さら新居から、もういちど椅子を持ってくるのは業腹であると。そこから解決するまで3日間もかかったそうです。旧アパートにまだ置いてあった古新聞の束を踏み台に利用するというアイデイアが出るまで。
 このエピソードを聞いて誰しも思うのは(★先生ご自身も思ったそうです)、ケーラーのチンパンジーの「洞察学習」。でもチンパンジー諸君は3日も長考しなかった。この実験を追試したエプシュタインのデンショバトの諸君も数分のオーダーで、踏み台を「調達」してバナナを取っています(Epstein,1996. "Insight" in the Pigeon: Antecedents and Determinants of an Intelligent Performance. in Epstein.R. Cognition, Creativity, and Behavior. PRAEGER)
人間でも慣れない事をやるときはこんなもん。