ひきこもり:管理的干渉か放任か

marumo552006-05-25

 「ひきこもり」に限らずですが、もろもろの問題行動が、行動問題(現状環境との関係で慢性化している)となっている場合、それに対する典型的対処の推移は以下のようなものです。
 最初は、1)周囲の対応が、「叱る」(「説得する」「励ます」とも表現される)といった嫌悪的な刺激を提示し、それから本人が逃れる行動を利用して解決をはかろうという管理的な指示や強制がまず試みられる。2)そこで一悶着おき、本人も周囲も相互に攻撃的になる。しかし、解決には至らず、3)様々な専門家に相談して、その言に従い「好きなようにさせておく」(あるいは「受容」という言葉が使われることもある)に落ち着き、いちおう平穏無事な、しかし抜本的解決には至らない定常状態が続く。
 3)の段階で、「専門家」のなかには、受容という方針とは逆の、1)の部分の嫌悪刺激をもっと強烈なものにして行動を引き起こそうとする場合もあります。ヨットスクールの発想です。嫌悪刺激からの回避という「負の強化」の方法は短期的にみれば効果的にみえるからです。家族では、1)が徹底しきれないから他者が管理するスクールでやってやるというわけです。そこでは、当事者の攻撃行動を許さないために徹底的で圧倒的な嫌悪的刺激を使用することになります。
 一方、3)の部分では、多くの場合、2)の強烈な「一悶着」や、あるいは当事者と一部の家族とのあいだにくすぶり続ける軋轢を直接の動機として、その対応として「受容」が提案されます。家族としては、軋轢部分から即時的に解放される「受容」はヨットスクールより受け入れやすい提案ですから、いまひとつ納得できなくても、受け入れることになります。
 しかし「受容」を提案した専門家は、とりあえずの2)の顕在化した攻撃行動へのリアクティブ(対処療法的)な提案をするのみで、次のステップにアイディアがあるわけではありません。ともかく落ち着いたら、本人と家族でなんとかするだろうという程度の話です。
 しかし「受容」では、結局明白な動きが出ませんから、ヨットスクールからみれば手ぬるい方法と言われてしまうことになります。

  いうまでもなく、「嫌悪的管理」でも「受容」でもない、今できる「ひきこもらない」行動を正の強化で徐々に形成するというFSJG(ファーストステップジョブグープ)のようなプログラムが存在しうるのです。しかし世の中、思った以上に、徹底的管理か受容という両極端な対応しか思いつかない人が多いようです。さらに「正の強化」を「行動とは無関係」に、誉める、認めるであると勘違いしている人も多いようです。

写真は、常陽ネコ(学生さんからの頂き物)