ご質問に対するおこたえ。

marumo552006-05-30

 以下、Ta1君からメイルで送られてきた質問ですが、本人に許可を得ずにブログに
転載しちゃいます。T1君事後承諾。



> 質問の方なのですが、それは行動分析学が言うところの"環境"に関してです。
> 僕は去年の別の講義で、JRの事故において、運転手がスピードを上げたのは、
> 日勤教育に関する不安が減るからだ(負の強化)と考えていました。ですが、


 そうですね。「不安が減る」というのは、「動機をみたす」みたいのと同様の表現ともいえますね。言うまでもなく動機は仮設的構成概念ですね。
スピードを上げる行動は、罰(日勤教育)を避けるための回避行動とだけ表現してもよいかと。日勤教育は、確立操作ということになりますね。

> そして"不安"が仮説的構成概念であるなら、例えば自傷反応を維持している好子

おっしゃる趣旨はよくわかります。ただ、この場合の「感覚」というのは、「動機」とか「不安」と違って、操作可能な「身体に対する物理的な接触」とかに置き換えても特に問題はない用語ともいえます。例えば、手袋をしたり、ヘルメットをしたりすることで自傷が消去されるのであれば、感覚が強化になるといっても、さしたる問題はないように思います。

> つまり、行動を構成する環境は、外部環境だけではなく、内部環境もあるならば、その内部環境の変化と、行動分析が言うところの従属変数(行動)として扱うべきであるという”心”との違いはどこにあるのかというところがわかりません

あんまり記憶が定かではありませんが、行動薬理学という領域は、アルコールが
直接に行動を規定する(からんだり/泣いたり)のではなく、アルコール摂取によってひきおこされる身体的感覚が、たまたまその下での特定の行動(例:からむ)が強化されることによって、(その身体的感覚が)弁別刺激となる、という、表現の仕方をします。これは、先の自傷の「感覚」同様、実験的に確認することが可能です。(具体的にどんな実験すんだか忘れたけど)

「心は従属変数で独立変数じゃないよ」という場合、上記のようなアルコール摂取
とか、日勤教育のような確立操作なしに、行動連鎖のスタートとしての独立変数
とみなすことを戒めているんじゃないでしょうか。

> 「行動を構成する環境、特に行動内在的随伴性とは何なのでしょうか?」

 これって、M・sato先生が言語行動について書いていたりするんでしたっけ?
どういう文脈での表現だったかな。?
 ま、これも、先ほどの「感覚」同様に、操作可能な変数として示されうるものであればいいんじゃないかと思います。
 
 内的刺激あるいは自らの反応がまた別の内的反応を生む、みたいな説明は、行動分析でも実は結構あります。
 「刺激等価性」(Stimulus Equivalence)成立の説明のひとつに、Horne and Lowe (1996): On the origins of naming and other symbolic behavior. Journal of the Experimental Analysis of Behavior, 65, 185-241.
てな論文もあります。これ読んだときに、これって本当に行動分析なんじゃろか、と思ったもんです。(今もちょっと思ってます)
 この論文に対しては、その同じ巻で多くの研究者が批評・批判していた記憶があります。T1君にもこの論文を読んでみることをお勧めします(周辺の批評論文も含めて)。行動分析が「内的」なものに対してどう扱ってきたのか様子がわかります。

ちなみに、坂本真紀・望月昭(2002)「自閉症児における私的出来事のタクトに関する予備的研究-公的刺激を用いた「たのしかった/つまらなかった」の獲得-
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hs/ningen/ningen_4/113-124.pdf
そして、この論文の原型ともいえる、刎田・山本(1991):発達障害児における”内的”事象についての報告言語行動(タクト)の獲得と般化.行動分析学研究、33(2)、80-90.なども参考になると思います。

さーらーにー、「味覚」や「時間推移」に関する報告言語行動の獲得については、私の学位論文もしくは、1998-1999「実践障害児教育」の連載(これは、わたくしのHPにリンクあります)をみてください。また、コメントをくださいね。



★写真は、産業社会学部Kさんからの頂き物のネコ写真。これオリジナルなんですって。これまでで最高のネコ写真ですな。ちっこくて見えないかな。煙突(天窓?)にネコが。