学生ジョブコーチが、今、目標にするもの

marumo552006-06-18

 6月13日(http://d.hatena.ne.jp/marumo55/20060613)にも書きましたが、学生ジョブコーチの話の続きです。
 学生ジョブコーチの最近のトレンドテーマはセルフマネジメントですが、これは、「自分で自分の事を管理する」と表現するといかにも就労訓練っぽい話になりますが、そのもとにある発想は、これによって当事者の「仕事行動」が正の強化を受けるという状況が目標です。この状況は、必ずしも賃金や他者の社会的強化による外的な強化ではなく(ま、それにもつながる)、自分で仕事内容について調節したり、必要な環境設定を変更する、そしてそれらに関連して、周囲の人と相談する、こうした行動の結果、実際に仕事がうまくいくようになる、あるいは継続できるという状況を実現することにあります。前にも話題になった「行動内在的強化」にあたるものです。しかしもちろん他者にも観察可能な状況ではあります。
 ですから、あくまでもここでも最優先課題は、正の強化にあります。さらに、セルフマネジメントといったからといって、当事者ひとりの行動に完結するものではありません。「自己決定」などと同様、これは他者のマネジメント以上に、周囲の援助が必要です。
 それをどのようにプログラム化していくか。まず、非常に基本的な問題として、仕事の評価を自分でできる、という事が挙げられます。この場合、スキルの問題としての仕事の評価の問題もありますが、より大きな問題としては、周囲の評価ではなく自分の評価で仕事の完了を決定するといった行動的問題です。
 多くの場合、仕事は、最初のうち、課題分析表などのもとに、ジョブコーチなどによるプロンプト(援助)と評価のもとに進行します。これが続けば、当然、ジョブコーチによる強化(評価)が、その場での行動の進行や継続を決める状況です。
 ここで、セルフマネジメントの方向に行くには、行動を決定する「強化の出所」(agentといったりします)を、ジョブコーチという「人」から、仕事の結果そのものに移行していくことになります。プロンプトのフェイドアウトの部分です。
 ここで「過不足ない援助」が問われることになります。そもそもフェイドアウトできないようなプロンプトを入れていたのでは、いつまでもこの過程は進行しません。そして、罰によるコントロールを伴うような指導をしていたのでは、やはり移行しにくくなります。罰はそれを与える人の存在が、その行動の維持に強く働いてしまうからです。要するに、顔色をうかがうという状況は、セルフの方向とは逆の方向にあります。
 立命館大学の学生ジョブコーチは、先生などにときどき「甘い」と言われてしまうことがあります。指導者の顔色ではなく、仕事そのものに注目してもらうためには、指導者の強いコントロールなしでそれを行う必要があります。学生ジョブコーチはそのことのために、いろいろ工夫を凝らしています。
 先生たちは、実習先から仕事をもらってやらしてもらっている、という状況もありますから、「甘い状況」というのは先方さまにもしめしがつかない、という気持ちになり「厳しく」対処せざるを得ないというのも自然の随伴性です。一方、学生ジョブコーチはその点、ある意味、生徒の行動獲得だけに注目しやすい身分でもあります。しかしそういう立場の違いがあるからこそ、一人ひとりの生徒に、今、何が必要かを考えなおすような議論も可能になります。
 よって立つ立場が違うところのメンバーである(随伴性が異なるセクターの住人である)が故に、情報量のある生産的コミュニケーションも生まれると思うわけです。養護学校でも企業でもない立場にある学生ジョブコーチシステムの意義はそうした点にもあると思います。

 
学生ジョブコーチ関連の記事は、左上の「日記の検索」に「学生ジョブコーチ」あるいはジョブコーチの単語を入力してみてください。


写真は京都在住のアーティスト 土橋晃氏の作品(絵葉書)。7月11日〜7月23日まで、ギャラリーSUZUKI(三条けあげ)で個展。ウェスティン都ホテル京都の前。
これからの対人援助の仕事は、アーティストともお友達でないと。