自転車

marumo552006-09-05

 立命館大学に来てから、これまで2台の自転車を買った。1台目は、当時の院生だったMさんが4年前に学内で違法移動しているうちにばちがあたってなくした。2代目は、この前まで院生だったRさんがお巡りさんに持っていかれた(読んでる?学会ごくろうさま。無事に上海に帰れたかな?)。ま、一台目は車輪が小さすぎて不安定だったし。二代目はギヤ比が悪くてとても長時間乗れるものではなかったので別によい、と。

 で、「膝の自己治療の仕上げ」も兼ねて電動自転車購買計画をたてた(たてている。たてていた?)。回生エネルギー(エネルギー回生か?)つきの電動自転車が候補にあがっていた。ところが、産地の某A県で購買しようとしたが自転車屋と乱闘になり断念。京都にもどり地元の自転車屋で買おうとしたがまた乱闘。どうも、自転車屋さんと相性が悪いようである。

 そうこうしているうちに、☆先生が、一足先に、電動自転車を買ってしまった。ち。
そういうわけで、☆先生が沢山持っている自転車の一台を「つなぎ」に借りることにした。持つべきものは友人である。もらったも同然。

 思えば、自転車というのは、人類の発明した機器の中でも非常に珍しい不思議なものであると思う。根拠を説明するのは難しいが、ほっとけば倒れるものを、動いているなら大丈夫、それもかなり動かしてみると便利なものって、よく発明したものであるな、と。じっとしている限り、思いつかないだろう。回遊魚のような移動してないと死んじゃう動物(かつお?)とかが発明したというならわかるが、基本的に静止状態がデフォルト(そうかな?)の人類が、こんなものを作ったというのがすごいと思う。「自転車に乗れる」という時期と「乗れない(あるいは補助輪をつけて乗る、あるいは牽いて歩く)」時期とでは、同じ自然的随伴性なんだけど全然違う随伴性でしょ。
 乗れないときに、乗れるようになったとき感じる感覚を想像するのは非常に難しい。もちろん自転車とて現在の形にまで改良されていったそのプロセスは必ずしも断続的なものではなく、じわじわといった過程があったと推測するが(調べりゃわかるな)、そう考えるより、人類が作ったんじゃなくて、地球上に最初から自転車は存在していて、しかも最初に、誰かが人類に、乗ってみせたんじゃないか、というような妄想が浮かぶ。自転車天賦論。

 トイレに行くにも、部屋から自転車を利用している。便利だ。やはり人間が創ったものとは思えない。

さあ原稿の続きを書かないと。