特教シンポジウム

marumo552006-09-17

 3年分の学会費も払い勇躍特教参加! 

 特教のシンポでは、香川大学教育学部付属養護学校西村健一先生による学校単位での取り組みとしての「WANTSを高める教育的支援」、兵庫教育大学の石橋由紀子先生による「アメリカ合衆国におけるIEP作成プロセスへの参加要件」という話題提供を聞かせてもらいました。
 西村先生らの実践は、「自己決定」という機能を、学校教育の中の中心課題として具体的にどう落とすのかという意味で大変興味ふかいものでした。
 ともすると「自己決定」というと、mand以来、自分勝手なdemandと受け取られて学校教育の伝統的matched dependentな社会関係(それは周囲が決めるneedsが目標設定となる)と相容れないものとして、水に油というか、trade-offな関係となるのではないか(と私が勝手に思っている)。そういう中で、WANTSという新しい発想で、正面突破していく積極的な試みと感じられました。

 石橋先生の発表はIEPの策定や決定に関して、保護者が訴訟を起こした判例という、なかなか普段聞けない内容でこれも非常に面白い問題でした。法と心理学、倫理と行動、といった流れでみても面白いし、石橋先生が最後のまとめでも触れられていた、訴訟プロセスでの生徒本人の参加が案外少ないというコメントも興味深いものでした。一瞬、FC訴訟のことなんか思い出したりもして。IEPの本来の意味と、そうした場面でのauthorship担保に対する具体的方法の開発など、議論したい内容は山ほどありますよね。「自己決定」のための教育支援の意味には、ひとつには、そうした地域市民生活での「援助つき」ながらもauthorshipを確認するための、当事者側の教授と過不足ない援助設定の同定というのもあるわけですよね。
 ま、しかし、紹介された判例をみると、日本のIEPでの保護者の立場との違いをまざまざとみせられるもので、大きな社会的随伴性の違いがまざまざと。聴き応えのある内容でした。

 「賢い子」(matcted dependentにたけた子)か「元気な子」(予測と統制を裏切るdemandな子)が、単なる加算でもトレードオフでもなく両立する社会関係を保証するWANTS支援教育におおいに期待します。
 自己決定とかQOLの概念が、学校教育の中で、積極的(プロアクティブ)な志向をもった先生方にどう展開されていくのか、というのは、とても勉強になりました。もう100年くらい?やっている学校教育における「自発性」とか「主体的な」といった決まり文句的課題から、どう抜けて新しい展開となっていくのか。

 こちとら「穏やかな否定(REJECTION)」、反応(トポグラフィ)は控えめに、行動(ファンクション)は明確に、といったことくらいしか思い浮かばなかったんで・・・
 指定討論者! 話題提供者より長々と演説して討論の時間を割かないように。そのあとの前川先生と井上先生のコメントと質問が、ほんとの指定討論だったな。渡部先生、ごくろうさま。また呼んでね。みなさん、ごくろうさま。ありがとうございました。


 群馬大学って、ノスタルな校舎でいいすねえ。
編集委員会に久々に出席するも、会費3年滞納して幹事のはからいで退会処分をあやうくまぬがれた身としては発言はばかられましたが、原著論文が採択されにくくなった課題に対して、「大学も法人化で研究環境が・・・」とかの発言聴くと、こちとら私立としては、「査読にきちんと謝礼を払ってアクションエディットにして、」とか思います。Y先生と、私立大学の編集委員の査読については有料化してもらわないと、もうできないって運動しようか、とか影でこそこそ。

行動分析学会での羹にこりて、ネクタイしてったら、私だけだった。



(写真)東北新幹線の車両編成って、先頭車どおしが連結してて、なんか接吻状態で走るのか。おい、そっちのやつ、ちゃんと前みて走れよな、とか思う。