吉兆のお料理(と教職GP)?

marumo552007-04-01

 あんまり忙しいので、朝、テレビで、トリノで2年に1度、世界の一流シェフが招かれて腕をみせる「サローネデルグスト」に招聘された吉兆の三代目、徳岡邦夫氏の密着ドキュメントを見てしまった。
 前にもこのブログで、この老舗にして、新しいアイディアを出して良い料理を作るために、若い衆やスタッフを、包丁の角でなぐったり叱ったりするのではなく、あくまでアイディアや意見が出やすい雰囲気を作ることに腐心していることに感銘を受けた、と紹介をしました。「正の強化を大切にする実践」としては、行動分析学会の「実践賞」に推薦したいくらいですね。まじ次はするかな。

 今回、トリノから2度目の招聘をうけて、三代目徳岡氏が、スタッフと一緒に現地の食材を使いながら献立を仕立てその場で改良し、あれやこれやのトラブルを超えながら料理を作っていく様子をみて、そのプロセスに改めて感動しました。一種、「プロジェクトの推進」といったかんじですよね。ま、そのとおりなんだけど。

 「一期一会」という言葉がよく日本料理などの「もてなし」のこころとして言われたりするけど、嵐山吉兆での徳岡氏の対応をみていると、一回きりの出会いというそれとは違いますね。「繰り返し」を実は前提にしているように見えます。宴の陰から、じっと料理に対する客の感想を”盗み聞く”徳岡氏は、それを「次の機会に生かすため」とコメントしています。「最高の伝統料理」に客を従わせるというのではなく、繰り返しの中で提供するメニューもサービスをも変化させていかなければいけない。確かに、これを実現するためにも、スタッフとの関係も単純は「権威的」なものであっては進歩も望めないでしょう。ちなみに「一見さんお断り」みたいなことがよく京都では言われましたが、これは考えようでは、「繰り返しの中」でしかベストの「もてなし」はできないという風にとることもできますかね。スローフードという意味も、実は、こういう「もてなし」の状況も含むのかも。時間経過(スロー)という意味は、まさに「繰り返しの中で」という側面が大切かも。Servicesあるいは「対人援助」にも通じる話です。

 吉兆の徳岡氏とスタッフとのやりとりをみていると、なんか大学での研究プロジェクト進行を思わせるところがあります。日々のルーティンの合間を縫って、コンペや学会前のすったもんだの準備をして、最後にはきちんと結果を出していく感じは、まさに、なんか、やむを得ず準備不足で現地に飛んで発表に臨む国際学会参加のかんじか? いやそんな甘いもんじゃないすね。

 ま、吉兆には及びもつきませんが、5月の連休明けから始まる「連合教職GP大学院」も、現状で把握している顧客リストも参考にしながら、献立をみんなで検討しているところです。一昨日、第一回のスタッフ・ミーティングを開き、意見交換と役割分担をざっと決めました。トリノでの吉兆とほぼ同じ人数のスタッフを動員して、前期の授業をキャンパスプラザで行います。献立の材料費もGP予算からかなり使用しますので、大変贅沢な授業ともいえます。京都衣笠の食材が中心にはなりますが、他の京都の旬の食材、さらに関東や神戸産の考えられる限りの高級な食材もコースの中にとりいれます。
 しかし、トリノディナーの吉兆の立場と同様、今年度の立命館「特別支援」授業のコースは、立命館の規定の下、単位等履修生で参加するお客さんは、最も値段の高い料理・・じゃなくて授業を選択することになります。他大学が提供する一番安いコースに較べると3倍も支払う必要があるのです。実にホンモノの「吉兆」で一番高いコースでも(たぶん)軽く食べられる値段です。ま、1回分づつになおすと、吉兆のランチくらいか(そんなのあるか?)。立命の院生と単位互換の院生は、なんとこのスペシャルコースを無料で食べるわけだな。ま、年額で先払いしてるから「株主優待」みたいなものかな。

 お値段にみあった満足感をお客さんに得ていただけるか。「おもてなし」の細部を現在つめています。火の車。スローフード提供には生産者の労力がやはり必要なんですね。


 写真は、H谷の坂をあがるお祭りのパレード(?) 携帯むけたらこっちに向かってパフォーマンスしてくれました。いい人。