学校運営協議会

marumo552007-05-03

 ある総合支援学校(養護学校→総合養護学校→総合支援学校→?総合学校)で学校運営協議会がありました。副会長の元KK大学の某先生が、「ある父兄から電話があってね。学校は、個別包括支援は熱心にやってるんだけど、授業はだいじょうぶなのか、と心配してるんだよ。」とのコメントをされました。
 ま、その先生の自分の意見でもあるんでしょうね。目が点になって、思わず(というか意図的に)二度見しました。

 前回の集まりで、会長(余ね)として、協議会の役割として、あらゆる事業を生徒のQOLの拡大に結びつけるように、その集約的なマップとしての個別包括支援を見直そう、という話をしました。そして当日も、(形式的な挨拶を依頼されていたのですが)特別支援における支援というのは、「キャリア・プラン」の創造であり、われわれの役割は「FA宣言」を否応なくしている選手(生徒)に対して、少しでも「条件のよい方向」へ転進するための集団マネージャーである、という演説をしちゃったんですけど、そのあとの発言として、冒頭の発言があったわけです。
 その先生、「実践の経過が記録にとられていない」、「カリキュラムと教授プランのみが公表されているが生徒がどうなったかの記録がない」、「せっかく先生がいい実践しているのに蓄積されてこない」といった大変良い意見も言われてました。ま、しかし、私が愛知の時代に、25年前に、少なくとも教育センターの実践報告は「記録のない実践は受理しない」というところまでいったんですけど、それは瞬間的奇跡だったのかな。最近は知りませんが・・・
 「先進的」と言われることもある京都の教育ですが・・・・・・

「個別の包括支援プラン」が、なかなか機能しにくい、あるいは、どうも応用行動分析が、すっかり形式的にしか理解されていない、むしろ、それらは余計な負担と考える先生が多いという理由が、ここのところ、やっと構造的に理解できるようになりました。
 
 「発達段階的な記述」を「行動的な表現」に置き換えることが、包括支援プランの主要な役割だという、行動的方法についてのよくある誤解がとけていないのですね。
 機能分析とか、ABC分析とか、瞬間的行動を分解してみせても、それでは通じないですよ。
機能分析もABC分析も、「繰り返しのある行動」を長い間観察することで、初めて現れてくる事実なんで、そのことは「点」あるいはプレテストみたいな瞬間的な生徒の状態像ではないわけです。対象としているのは、確かに生徒なんだけど、あくまで、生徒と環境(先生を含む)のダイナミックな相互作用として「行動」なのである。
 なぜプレテストではなく、ベースラインという「ライン」を評価するのか、これは実験デザインの問題ではなく、生徒の個別プランをみるうえで最低限度の作業なんですよね。
 個別の包括支援のフェイスシートあたりは、まったく医者のカルテなんですけど、もちろん投薬の必要性とかそういう情報は必要ですがそんなことは教育以前の問題なんで、同様カルテ風に「指が動くか」なんて、自立支援法のチェックリストでさえもう少し状況も踏まえて書く欄があるというのに、
そういうのが客観的な資料だと誤解してるんだとしたら、交互作用を記述してそれをアセスメントにするといった発想はなかなか出にくいでしょう。

 ただ一方で、O校長から、「昔は、個別包括支援プランみたいな書類にしてしまってしまうものではなく、模造紙に大きくその子どもの状態を表現したものだ」みたいな発言がありました。みんなが、自分の実践から、FA宣言した生徒の行く末を常に、改良していくためのそういう作戦室にあるようなマップをみんなで確認したり変更したりする姿っていうのは、割りと私がイメージする機能的な個別の包括支援プランの運用の形です。

 だんだんGPで議論する内容も明確になってきました。記録の意味なども、そうした文脈で説明していく必要がありますね。担当スタッフの方、よろしく。



写真は、ひさしぶりのU氏からのSUZUKI-KATANA 1982年ごろの初期型ですな(と、卒業生のT君が自分のカナタの写真と一緒に教えてくれました。彼の1/1も次に紹介します)。