続々あつまるレポートメイル

marumo552007-07-28

 試験もほとんど終わったころと思いますが、研究入門、外書講読、ゼミのメイルによるレポートが続々送られてきています。昔は1回生のメイル添付によるレポート提出というのは、それ自体が情報リテラシー教育の一環だったのですが、さすがに最近はここでバリアを感じる人はいないようですね。このレベルでの「ITのバリアフリー」(前回の日記参照)は殆ど解消されたかな。
 このメイルレポートの現在の目的は、こちらからのフィードバックの容易性なんですけど、ま、残る問題は、私がその行動をとれるかどうか、という人的要素です。毎年、当初は、夏休みになれば時間はいくらでもあるだろう、と考えているわけですが、夏休みになると、学会とか出張とか帰省とか大掃除とか洗濯とかコンサートとか色々と多忙になって、結局いつもより時間がない。

 と、このようなことを、小学校の1年生のときから今に至るまで、カイゼンなしに繰り返しているわけだ。どうして学習できないのだろうか。もはや50回近く経験しているはずなのに、1年たってしまった経験から学習するというのはそもそも難しいものなんでしょうね。太古の昔、種まきの時期とか定着した農業を始めた人類っていうのは、ほんとうにたいしたものですね。

 テレビのCMでも採用されちゃったので残念ながら二番煎じですが、最近の日々是新鮮度指数としては、携帯電話を、携帯電話をしながら探すというおまぬけ行動です。何度かやりました。ふだん本当に忘れたときより、携帯中にその携帯電話を探すときのほうがなぜか非常にあせるんですよね。携帯で話している相手に、「ちょっとまったああ。携帯がどっかいっちゃったああ!」って、本気で探している。と、CMと同じようにたいてい相手も「今日、朝、持ってきたところから思い出してみ」とか、本気でぼけてくるから、ますますその気になってあせっちゃうんですよね。

 別の日々是新鮮度としては、独り言というのがあります。なにか行動をするときにいちいちその動作の名前を声を出す、とか、ありませんか? もちろん車の中でひとり「ちくしょお」とか言うのはしょっちゅうですが。ところが最近の「症状」は、独り言を人がいる中でやってしまう。エレベータで「おじさん、どうしたの?」って、なんでもないんだよ。

 このブログのタイトルにもあります「日々是新鮮」の由来は、プロフィール欄の写真をクリックしていただければわかるとおり、禅的生活にゆらいする奥ぶかあああいものですが、もしかして、日々是好日とかの発想は、そもそも修行をつんだえらい人が編み出したものだと推察されますが、実は、要するに、ただ記憶力が乏しくなった人の理論? といってしまえば、またage relevant concept of development ですが、しかし、このくらい緩く物事をとらえてこそ、という真理は、やはりあるような気がします。まけ負け惜しみでなくて。
 最近、応用人間の団士郎先生のかつての新書版の本を、amazonの中古で買って、ちらちらと読んだのですが、団先生の言う「犯人さがしをしてもだめ」という文脈で使われる因果についての言及は、同じ標語(犯人探しはストップ)をまず使用する実践的な応用行動分析でもよく言われることでもありますが、一方で、行動問題での定番的手法であるfunctional analysisとの関係というのは、どういう風な関係にあるのか。どうもまだ釈然としないところが残ります。
 すでに議論しつくされているようにも思いますが、DRAといっても、Aにあたる目標行動が、問題行動と機能的に等価であるような実践研究って殆どありませんよね。これは応用行動分析学、行動障害心理学でも授業中に「ジャンプ」として解説しましたが、それらの研究でも、「因果を追ってない」とも言えます。機能分析して(個人ではないけど)「犯人」にあたる随伴性関係を同定はするものの、そこでの機能とはとうてい等価でないなら、最初から「行動の選択肢の拡大」というわれらの共有ミッションを最初から前提とすればいいのじゃないか、と思ったりします。

 外書講読の諸君とは、今年もずいぶん勉強させてもらいました。おかげで最近のJABAのブリーフレポートを何本も読むことになりましたが、全然、日々是新鮮度指数が低くて、ちょっとこれではねえ、とか思いました。PBSとか他の雑誌にも範囲を広げて、来年は探索してもらおう。

 写真は、これぞ「夏休みの制服」