「人に関する研究」の倫理委員会

marumo552007-10-04

 しばらくブログに穴をあけてしまいました。書字行動のアイドリングもストップして最後の夏休みで遊興三昧。その中でも、大学の研究倫理委員会の運営構想やチェックリスト作成などおおいに楽しめました。
 いわゆる学務に関わることでもありますが、できるだけ多くの人に(とりわけ学生諸君には)参加してもらいながら検討すべきものだと信じております。また行動分析学(あるいは対人援助学)の人間にとっては、この研究倫理は、行動倫理学坂上,2004)の名のもとで、研究対象としても興味深いものであります。
 そういうわけで、立命館というこの具体的現場における研究倫理委員会の立ち上げの過程について、可能な限り、このブログで紹介しつつ議論を重ねていきたいと思います。
 すでにこのブログでも触れたと思いますが、わたくしの考える研究倫理とは、
1)インテグリティ(恣意的データ収集や改ざんなどの問題)、ファンド使用にかかわる狭義のコンプライアンス、といったことは、その内容自体については改めて問題視しません。
2)コンプライアンス(法令順守)でない部分として、研究倫理を、研究作業のプロセスに関する研究者の「作法」「マナー」と限定することもできますが、ここでは、あえて目的と方法の関係をみる、つまり大かたの従来の研究倫理規定と比較していえば、目的についても、一定に踏み込むものにする。
3)研究者と対象者というものが、最初から利益相反するという前提ではなく、その共同的行為として研究をとらえる(とくに対人援助学の場合)。
4)コンプライアンスを含め、一方的認可作業や罰則規定での(といった負の強化による)遵守行動の維持ではなく、3)の共同的行為という観点から、これを正の強化で維持し、自発的に研究者の研究に関わる(目的設定までを含めた)倫理的行動を促進する

という目的のもとに活動したいと思います。

 各種のWGや委員会で、研究倫理委員会の作業範囲の限定、手間コストとの兼ね合い、などの観点から、上記のような作業はあまりに大変、という意見も多数でてきています。
 これも一種の実験だと思っています。必要なら資源配置を大学に要請していくつもりです(=援護活動)。行動的にいえば、すでに交通標語や規定のように、罰を大きくすることで守らせる、というものではなく、あくまでも自発的に研究者が展開したくなる正の強化による運用がなければ、当然、審査されるほうも、する方も、負担感だけ残ってしまいます(あるいは運が悪かった感)

 わたくしのプランでは、ある意味、雑誌投稿時における査読者のような役割を倫理審査委員会に持たせるようなものを考えています。これにも反論はずいぶんあります。主にそれは手間の問題です。
 従来の資源内では確かにコストにあわない仕事となるでしょう。新たな環境設定(=援助設定)を前提に、ちょっと進んだ倫理委員会を実験的につくる(アクティブ=シミュレーション)、そういうかたちでやりたいと思います。なんせここは大学なんですから。


あ、業務連絡。あす金曜のmuttoゼミでは「行動倫理」について演説します。
MLでも流しましたが、人間研の「オープンリサーチセンター事業」の冊子、ヒューマンサービスリサーチ5の中のぼくの講演録
http://www.human.ritsumei.ac.jp/hsrc/resource/series/05/open_reseach05.html
および、できれば、坂上(2004)「倫理的行動と対抗制御:行動倫理学の可能性」行動分析学研究,19(1),5-17も読んでおいてください。


写真はmutoゼミの学生さんからもらった生協猫写真