オーディエンス・フィードバック(1)

marumo552008-02-01

 北総合支援学校の「みやこ学校創生」研究集会のオーディエンスの方からのフィードバックが届きました。基本的に好評でしたが、その中から厳しいコメントについて一部内容を改変して紹介します。運営協議会会長として、真摯に受け止め、確実にカイゼンしなくては。
 
1)「〜させる」授業「〜を繰り返す」授業が目立つように感じました。子ども自身が我が力を発揮しようとする意欲や達成感を持つ姿を目指した授業が見れなかったのは残念でした。授業を中心にすえた学校運営を私の学校もめざしているとこではありますが,ケース会議等の熱い思いが授業に反映できるようにしたいと思っているところです。そのあたりの難しさを公開授業を観て感じました。

 「繰り返し」というのは、一定必要な場合もありますが、「〜させる」「〜を繰り返す」がセットになっての「繰り返す」というのは、確かに、ちょっとキャリア・アップというスローガンから外れますね。これは次の2)のコメントにもかかわります。

2)高等部の生徒たちは,何のために今自分たちは「手を動かして」きれいな作品を作っているか,意識をしながら制作活動をすることでもっと意欲がわくのでは…?指導案には,「もっと楽しみたい」コミュニケーションの意欲を育てたいとあったが,本人が選択する場面や選択できる手だてが少ないように感じた。例えば,色を選ぶ,活動を選ぶ,休憩するかどうか伝える…などの,自己選択の場面を意識して取り入れていくことで,コミュニケーションの向上につながると感じた。「楽しむ」の先,または,いろいろな「楽しむ」があってもよいのではないかと思った。「何かの役に立つ」「だれかが喜んでくれる」ことのうれしさなど。

 その通りですね。自分の行動とその結果(=機能)の関係というものが、必ずも、当事者にわかりやすいかたちで示される課題ではない場合がありましたね。作品を作るシーンで私も感じたことですが、指示の内容についても、行動(結果を伴う)の指示よりも「反応の形」への指示が目立ってしまう場合もありましたね。
 これは、他校の実践に見られたことですけど、例えば、車椅子での移動の指示として、「止まって」というのではなく「黄色いスイッチを押して」と言ってしまうようなケースです。行動の機能についてその状況設定が弱いなと思えたものとしては、他にも、車椅子に座っている生徒から、当該の反応のためのスイッチや部品の動きは見えるけど、その際に生じている結果としての作品の出来不出来がみえにくい(あるいはその逆)という事態も、ありました。
 西総合の朝野校長が講演でお話になっていた「自発的」「自己決定」といった内容が、単に「ひとりで、できる」に変換されてしまっている実践が目立ってしまいましたね。

3)個別の包括支援プランとカリキュラムの関係をもう少し具体的に教えていただけるとありがたいです。

 そこが、今、課題になっているところですよね。個別の包括支援プログラムと、眼の前の実践が結びついていない。他地域の人も、IEPの効率的運用に関して同様の悩みがあるということでしょうねえ。


4)個別の包括支援プランの考え方は,何となく理解することができたが,実際の運用について具体的に誰が,いつ,何を,どのようにすすめていくのかを知ることができたらよかったと思う。

 学生ジョブコーチの実践などを受けて、プランの更新作業がどう行われたか、実は、ごく一部でしか実現しなかったわけですが、やはり重要な課題ですね。
 このことについて、他地域の先生にうまく示すことができなかったとすれば、やはり継続的カイゼンをする必要があります。「京都には個別の包括支援プランがある」とはとてもえばれません。


5)資料の「本生徒の変容と今後の課題」について,「〜増えた」「〜みられる」という表記が中心だったので,何がどのくらい増えたり,みられたのかが,把握しにくかったです。もう少し,客観的な変容の把握方法がされているとわかりやすいのではないか?と思いました。

 まったくおっしゃるとおりです。
 かつて、名古屋市では、定量的記録のない実践は報告として受け付けない、というところまで行ったのですが(今はどうなってるかなあ?)、今回の研究紀要をみても見事に生徒のキャリアアップを示す実証的データ開示がありませんでした。