朝野先生と20年後の総合育成支援教育を考える

marumo552008-05-06

 昨日5月5日、ホテルオークラで表記のパーティがありました。午前中は西総合のパネル発表、午後から、朝野浩先生の講演とシンポジウムが行われました。シンポジウムでは、朝野先生ほか、前兵庫教育大学教授の成田滋先生,大阪人間科学大学教授谷晋二教授,筑波大学特別支援教育研究センター藤原義博教授、そして私。

 会場には青森なと遠方からの先生方も出席され盛会のうち、夜のパーティまで長時間続きました。準備と進行をされた先生方ごくろうさまでした。
 参加者には、資料、というより朝野先生のこれまで書かれたものあるいは代表的な講演録を正本とした、かなり立派な出版物「生きるかたちーその時、その場に、その人達が−」が配付されました。その最後のほうに、今年3月に西総合で行われた、朝野先生とわたくしの対談(通称「はぶとマングース」あるいは「ぶたとハムスターのえさの取り合い」)も収録されています。(表記が「である調」の対談集って、ちょっと戦国時代の講話会議?みたいなかんじになってますけど、当日は当然「ですます」体で話してます)。でも「である」体にした担当の方の趣旨は、いかにこのふたりがろくに互いの話を聞かずに勝手にしゃべっているか、という当日の雰囲気を再現する、という狙いがあったかもしれません。なお、このコンテンツは、関係者に無断でPDF化して私のHPにも近日アップさせてもらおっと。えと、それと本文に、ジャンクションという言葉がよく出てきますが「ファンクション」のまつがえですから。とか他にも?な翻訳がありますが、ま、よくぞ私の、その場では雰囲気はわかるが、いざ起こしてみるとさっぱりわからない日本語をよくぞここまでにされた、そのご苦労は本当に感謝しています。こんな本にまでしていただいて(涙)。

 
 この本のタイトルでもある「いきるかたち」という表現が、朝野先生の京都での総合支援のありかたをよく象徴していると思います。「できる」は、周囲の援助つきで先送りすることなく現在「かたち」をなしている当事者の行動の成立です。教育から「支援」ということばが使われるようになった所以でもあると思います。


 久しぶりに、藤原よっちゃん義博先生の司会で(しかし、すっかり京都の人みたくなってきたな、ったく。関東地方にお友達ができないのかな)シンポジウムごっこの話題提供者をしました。ま、こういう会だし、シビアな内容を発言するのもどうかと思ってはみたのですが、前日、結局、パワーポイントまで作って準備して臨んだんですが、当日配られた上記の「生きるかたち」の対談で殆どしゃべっていることが判明。日々是新鮮。


 谷先生の大学教育における特別支援という文脈で障害学生をどう支援するのかという発表は、まさに「20年後の」というこの会の趣旨にもっともふさわしいものだと感銘を受けました。研究倫理でも障害学生支援でも、やはり行動分析をやっている人が担当することが多いのですが、とりわけ私立大学が社会資源として障害のある個人の「生きるかたち」(正の強化を受けつつ学習・研究行動が持続する環境)を創造していくという重要な役割をしめす実例だと思います。先鋭的な実践を社会に表現していくという意味で、谷先生の発表は、スキナーも後継者になにより望んでいたsocial actionを実践されている重要なものであったと思います。


 朝野先生もこの4月から私立大学の教員として(立命とかいうとこです)活躍されています。大学における教員養成は、現状の学校に適応しやすい教員に育てるというのではなく、大学(というか私立大学)が持つこのセクター独自の発想で、まさに20年後にも通用する教員を育成していく、前進的(プロアクティブ)な教授作業である必要があると思います。新しい教員養成大学院プランの検討も進行しつつあります。というわけで朝野先生にはぜひとも、私学の随伴性に慣れていただき、新しい教員を育てていただきたいと願っております。