対人援助学会準備会 臨時増発便

marumo552008-07-17

 第21回対人援助学会準備会の臨時スペシャルセッションが、昨日、創思館で行われました。発表者は、ケンブリッジ病院暴力被害者支援プログラム・アドボケイトの春海葉子さん、タイトルは「米国型被害者支援モデルを超えて」でした。米国のDV被害者に対する支援のシステムの現状と課題について、その一線で働く方からの報告でした。
 詳細については、現在製作中の「対人援助学会」のHPなどで紹介していく予定ですが、この米国におけるDV被害者への支援という現場においても、既存専門性のハイラルキーの問題や、細分化された職制間や専門家による連携なき分担(分断?)といった課題があるようです。当事者に寄り添うような、既存の専門性から離れた支援者の地位は低く、それゆえの賃金の低さ、さらには人種、宗教といった米国固有(?)の要素も絡み、バーンアウトしてしまうことも多いとのことです。専門性の高さは、それぞれの専門職の「資格」によって裏打ちされ、そしてそれは賃金だけでなく現場での発言力も変わるという現状、そして、それぞれの専門職の資格取得に必要なカリキュラムをみると、マニュアル的な内容が多く、当事者を尊重できるような専門職の連携よりも、分担(分断)はすすむばかり、というのは日本の対人援助シーンでもおおいに危惧されるところです。
 春海さんは、専門性のそれぞれを認めつつも、再分化されない「脱専門」的な支援のありかたをどのように実現していくかが課題であると述べられました。実際に、春海さんも、既存の資格を持つ専門家とは違う当事者によりそう支援を通じて、その人の本当の問題点を見出せた具体的な例を紹介されていました。 専門的なトリートメント(介入)ではなく、当事者が困っていた図書館を利用するための申込書の作成を支援する、そうした生活密着型の支援から始まめることで初めてみえてくるものがある、と。
春海さんは、既存の専門性と欠点を補う方向性として、コミュニティの力を前提とした「日本式モデル」についての展望を語られました。春海さん自身の支援の経験からも、米国からみれば日本はまだコミュニティの力、ご近所との結びつきなどの可能性はないのか、と。そして、そこから、フロアを交えての討論の時間となりました。


 春海さんの米国での仕事から見出された、そして、どんな支援の現場でも切実な課題となっていることこそが、まさに、われわれが「対人援助学」という名称で試みようとしていることです。既存の専門性や職制をいったんおいて、当事者に絶えず「寄り添いつつ」、臨床的(心理的)問題とリアルな社会的問題を別個のものとして扱わず、それこそ春海さんの仕事の名称であるアドボケイト(援護)の志向を持ちうる仕組みを追求することが求められているわけです。「非専門性」という専門性をどのように表現していけるのか。そしてそれをリアルな制度としてもどのように設定していくことが可能なのか。
応用人間科学の諸君、うちのキーワードの、「連携と融合」、そして「アドボカシー・オリエンティド」というのはそういう意味なんですよ。