モラル・スペース

marumo552008-08-01

 数日前のブログで、行動分析学特論のレポートに関して、看護領域に「モラル・スペース」という概念があるんだ、というはなしを書きました。http://d.hatena.ne.jp/marumo55/20080730

 この概念、機能的には「公正交換指標」(FEM:Fair Exchanger Marker)と似ていると思って、フライデー君に、この単語が出てくる文献を図書館で探してもらって当該箇所をコピーしてきてもらいました。書名は「看護倫理」(ドローレス・ドゥーリー/ジョーン・マッカシー著:坂川雅子訳、みすず書房,2006)です。

 それで、読んでみたのですが、第四章 アドボカシーとインテグリティの中のアドボカシーのためのモラル・スペースの項(P.98)に、

   ・・・・・モラル・スペースというのは
*その根底に、医療者と患者の自律性を尊重する姿勢があり、
*良心的反対を表明する機構が存在し、
*その表明を専従の看護師がバックアップし、
*業務に関する良心的抵抗や考え方の相違が検討され、
*倫理的な問題がある場合にはつねに話し合いがもたれる
 医療環境のことである。

とあります。「スペース」は、部屋じゃなくて医療環境である、と。
 趣旨はよくわかりますし、自己決定を保障する援助(環境)設定としての公正交換指標と基本的に同じです。「公正交換指標」というのは、かなり具体的設定とそのマネジメントまでを想定そたもので、知的障害のある人において、スキルの問題としてではなく、「自由に選ぶ」という行動が、当該の組織や集団の中で相対的に弱者の側からの一種の社会的行動(言語行動)としてその機能を担保するものです。初めてみた人は、以下のPDFの最終回参照してください。なお、以下のファイルのダウンロードの際には、末尾の年号とpdfの最後の文字までをコピーしてアクセスしてください。以下のものをそのままクリックしてもつながりません。

  http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~mochi/14-Mochizuki(1998-1999).pdf
 
 FAEに関しては、例えば、決定の場に「お金」というFAEが介在することによって、「弱者」の側の自己決定行動を促進し(上記の記事の最終回の実験参照)、また、一般に、相手(売る側)の供給行動も、この介在によって、基本的に売り手の恣意によって価値の変動が生じるということは原則的にありません。知的障害のある人に対してお釣りをごまかす、なんてことがバレたら、そのお店は、強烈な社会糾弾を受けることは必定。「強者」が「弱者」に提示する選択の手続きに「否定選択肢つきのメニュー」を使用する、という例もあります(これも上記論文)。さらに施設内で要求のための特別の時間と設定(例えば「集会」)というものを設けるのもFAEのひとつです(松原平1995:行動分析学研究8(1)特集「ノーマリゼーションと行動分析」)。
 行動分析学的立場からの上記の研究では、いずれも可視化できる具体的対象「物」をFAEとしている点が特徴です。そして交換という社会的関係としての概念をコアに考える「自己決定」の場合、何も新しく随伴性を設定しなくても、「お金」の例にあるように既に社会的随伴性によって「それがあるときには『自己決定』が担保される」というFAE機能を、見直し流用すればいい場合もあります。ただし、成人施設などでは生活に通貨が流通しているわけでもないので、これを導入することは、やはり新たな環境設定としての「援助設定」となるわけです。
 一方、モラル・スペースですが、現在のところ、それを具体的にどのように運営し、維持しくことができるか、実証的な研究やエビデンスは見当たりません。前記の定義をみた場合も、「自律性を尊重する姿勢」とか、まだ意識改革とかそうしたあやういレベルでの前提となっているようで、人の行動は、大きな倫理や人権のルールを口にすることはできても(つまり理解や意識はあっても)直近の随伴性の前には全くもろいものであるという人間の行動の原則からすると、まだ精神論的に聞こえてしまう部分があります。もちろん、病院などでも、広い意味で解釈すれば、倫理委員会であるとか、危機管理委員会の運用次第では、モラル・スペースと同等の機能が付与されている場合はあるかも知れませんが。また部分的ですが、応用人間の2002年度の修士論文のTさんの論文の内容は、その一部は、患者と看護師の関係におけるモラルスペース的な関係を維持するための具体的方法といえるかも知れませんね(以下にアブストラクトあり)。
   http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsshs/ouyou/ronbun/2002/2002_koudou_7.pdf

 FAEあるいはモラル・スペースに関して、その公正な運用というのは、あくまで公開性ということに尽きるかも知れません。そして、もちろんその運用の方法自体も、それぞれの組織成員の「モラル行動」を正の強化で維持するものでなければ、ごまかしや隠蔽はなくなることがないと思います。これについては、以下の研究倫理特集の私他の記事を参考のこと。
  http://www.human.ritsumei.ac.jp/hsrc/resource/series/05/open_reseach05.html