サービスとホスピタリティ

marumo552008-08-02

 北九州の「盟友」(!)松原平先生から、以下の質問がめいるできたので公開討論とします。


 商いとしてのサービスに対する説明として、サービスに関する多くの書籍で、「サービスとはお客様のニーズ・ウォンツに応えることでお客様に満足(CS)を提供し、これは標準化することができます。これに対して、ホスピタリティはサービスをさらに進化させたものであり、心遣い、おもてなしという「心」の提供の域に達するもので、故に一人一人異なるものであるからスタッフ側にも高度な感性が求められます。これがお客様に満足を超えた感動や幸せな気持ちを提供し、引いてはロイヤリティに結びつきます。」ということが語られています。そこでは、お客様の動作や心理を先取りするあるいは読み取って対応するというメンタリティの重要性が強調されています。
 これに対して、望月先生は「サービスの科学」の説明において、先のサービスは「勝ちの心理学」として言えるものであり、本来、サービスは「あくまで、今そのときの当該個人の好みや希望を聞きだすことが重要なのであって、標準的なあり方を誘導すべきではない。(「デニーズへようこそ」)」、「要求を言葉にしなくても、その微細な動作で内容を感知し対応するというのは、その部分だけを見れば対人援助シーンで必要な場合もある。しかし、この例では、言葉で要求できる客に対して、明確な表明もないのに、ニーズを先読みして対応することこそが、あたかもベストなサービスであるかのようにとらえている。・・・・しかし、上記のようなやり方は「サービス」としては本来のあり方からはずれるものである。(「鉄腕アトムに櫛」)」、また、「全日空は病んでいる」の記述をもとに「・・・・、接客サービスの際の『距離感』の必要性と表現することもできるであろう。・・・・、対人援助作業全般においても絶えず自戒する必要があろう。」と述べられています。
 ここで私が伺いたいのは、
(1)まず、商いのサービスにおいて、冒頭に述べたサービスのとらえ方は、本来、サービスのあり方として間違っていると考えておられるのでしょうか。また、サービスの進化形としてのホスピタリティは好ましいことではないと言うことでしょうか。
(2)それとも一般的な商いのサービスで語られる「勝ちの心理学」の対立軸として、「負けの心理学」としての対人援助の科学を語る場合において、サービスとらえ方に異議を唱えておられるのでしょうか。
(3)一方、先生は、福祉職などの対人援助サービスのあり方として、サービス職と言いながら、商いのサービスからみれば、学ぶべき点があると言われています。その学ぶべき点は、さり気ない援助環境の設定を指摘されていますが、この「さり気ない環境設定」こそが、いわゆる勝ちの心理学で言うところの「先取り」的な行為になるのではないでしょうか。
(4)過不足のないサービス環境(自己決定という正の強化子で保障された選択肢の拡大)の設定を「援助」としてとらえる対人援助の科学では、感動を与えるサービスをどのように説明されるのでしょうか。
(5)私は、サービスにおいて、「鉄腕アトムに櫛」の必要があると思いますし、感動を提供することも上質のサービスであると思います。ただし、それをメンタリティの説明ではなく、応用行動分析においてこの部分を説明することが必要であると思います。つまり、商いのサービスが勝ちの心理学に足を置いていることを否定するのではなく、勝ちの心理学をそのまま応用行動分析において説明することが必要ではないかと思います。

 最近、福祉職の職業行為を(商いの)サービスの視点から講義することがあります。この場合、とうしても勝ちの心理学的な説明をしがちになりますし、かと言って、商いのサービスを対人援助サービスの科学で説明しきれないという私自身の状況があります。特に、(5)についてご指導をお願いいたします。

  これに対するリプライは、長くなるので、以下にリンクしました。
http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~mochi/matsubara0808.pdf