改めて、「キャリア・アップ」って何?

marumo552008-08-25

キャリアアップという言葉は、すでにブログでも書いたように(出自に興味のある人はこのブログの検索で「キャリアアップ」あるいは「キャリア・アップ」を入力してみてください)、昨年前期の教職GPの授業のコンセプトとして、「FA宣言とキャリアプラン」というキーワードを挙げて以来、ずっと使ってみてます。途中で、いつのまにか、プランは「アップ」にかわったのですが、こっちのほうが良い感じ。

 Mutto先生や主要スタッフでGP授業の準備をすすめたとき、このキャリアの推移を図示するとしたらどうなるか、という議論もしました。で、まだ結論が出ないまま授業になだれ込んだのですが、Sさんが、彼女の担当授業のときに「台風の進路」みたいな俯瞰図のイメージを示してましたよね。この場合は、「発達は必ずしも定型的(一本道)ではない複線経路だ」のような意味としての、どっちかという個人差を強調するような意味での「プラン」の発想だったんでしょうかね。もちろん結果的には、そうなる(=個人差がある)のでしょうが、なんかいまいち元気が出ない。

 神戸市でのコーディネータ研修の時(だったかな?)も、キャリア・アップの「アップ」という表現に対して、アップしていくものではなく「変化」にすぎないという言い方が、ビジネスシーンあるいは人事研修などでは言われているのでは?といった質問もいただきました。そもそもアップというのは、強迫的に「進歩すること」に追われているようで、それは高度経済成長のイケイケじゃないかといったニュアンスなんでしょうね。あるいは、これも神戸の先生からコメントがあったように、生徒のbeingを認めるのであってdoingじゃない、みたいな哲学的な観点からもいかにも嫌われそう。

 キャリアアップについては、右上の図のようなスライドで表現したりしてるんですが(時と場所で微妙に表現が違います)、縦軸はいったい何なんだということは、実はそんなに明確なわけではなかったわけです(って無責任な)。とりあえずは、基本「行動的QOLの拡大」と同じである、それを継続的に行うことだ、といったような説明をしてきました。このことは、松原平さんの質問へのリプライとしてすでに書いたとおりです(http://d.hatena.ne.jp/marumo55/20080823)。昨年のGP授業のときには、これは、だいぶ前に特殊教育学会のシンポジウムで話題になった「WANTS」(検索してください)と言ったほうがいいのかな、とも思いました。というのも学生ジョブコーチで特定の生徒につきあって就労支援をしていった場合、生徒もジョブコーチもともに経験を積んでいくと、必ずといったいいほど、自分で自分の環境を変えていくこと、あるいはその表明をする、といった内容に支援の軸が移っていくからです。既存の用語でいえば「セルフ・マネジメント」という風にも表現できます(セルフって言っても、「一人でできる」ということではなく、当事者が参加して「仕事を楽しくするため」の環境設定行動として使っています)。

 とかなんとか色々考えていたのですが、めんどくさくて(って無責任)、とりあえず、この縦軸は、これまでの応用行動分析的な対人援助(=支援)の一般的目標である「正の強化で維持される行動の選択肢の拡大」でいいのではないかとなっていたわけです。
しかし、キャリアアップという表現は、用例としては「それじゃキャリアダウンじゃないか!」と、しょうもない支援方法を指摘するときの使いやすさ(相手を黙らせる効果?)があるので気にいってます。この夏のあいだに、すっきりさせる予定です。

 明後日から大阪樟蔭の集中です。キャリア・アップ(それと改めて応用行動分析について)については、授業しながら考えてみます。聞き手がいないとね。この集中、今回で終わりという話もあるので、個人的には、今年のオリンピックの野球選手(?)ような気分。この間にキャリア・アップしたかな自分は?(という風に使えて便利)。