NHKスペシャル「兵士はどう戦わされてきたか」

marumo552008-09-15

 昨日のNHKスペシャルの「兵士はどう戦わされてきたか」という番組は衝撃的でしたね。第一次大戦以来の兵士のPTSDを軸に、これに対する「科学的対策」がどのように行われてきたか。  
「敵を人とみなさない」訓練によって、戦場での発砲率(実は撃たずに帰ってくる兵隊が多かったんですね)を2倍にした研究者がうれしそうな顔で表彰されていましたね。さらには、これまた専門家が「戦場に行くときに教育して、戻ってきたらそのための教育をして、また戦場に行くときは再び教育する。それくらいやらないとダメです」って、得々とコメントしてましたけど、そりゃ普通の人間なら壊れます。

 番組中、民間人を射殺してしまったことによるPTSDというのが、今回の基本的テーマとして据えていました。番組は、いくつかの戦争を経て、その都度、上記したような戦闘力増強やPTSDに対する科学(医学・心理学)的な「対策」が考案されてきた経緯が紹介されてきましたが、「殺す行動」「殺してはいけない対象の弁別」の訓練などが、もっともらしければもっともらしいほど狂った事態であることをよく表していました。射撃訓練の的を、幾何学図形のターゲットから「人型」のものに変えたというのもひとつの「イノベーション」だったらしいですが、それは、「人を撃つことに慣れさせる」のではなく、「戦地で人をただの人型のマークと思わせる」という、言ってみれば「アクティブ・シミュレーション」(訓練では行動できても現実ではできない場合に現実の方を換える)であった点が衝撃的でした。

 見るからむくつけきアニマル体型のアメリ海兵隊兵士が、民間人を殺してしまったことでアルコールに溺れるとか日常に適応できないでいるシーンをみたとき、まず、本当にその理由で病理的状況になったのかと、ちょっと疑いをもった反面、逆に、日本人がもし海外派兵された状況で(現実にあるわけです)、人を撃ってしまった場合に、この海兵隊員のようにPTSDに「なれるほどの葛藤力」があるだろうか、という思いもよぎりました。

 番組全体として非常に重要なメッセージを秘めたものといえますが、さらに踏み込んでみれば、そんな葛藤場面に身を投じなければならないのはなぜなのか。 番組に登場したある兵士は、軍隊の奨学金で大学へ行きたいと語ってましたが、「兵士はどう戦わされてきた」の次には「兵士は志願してまでなぜ戦いに出なければならなかったか」という問題が根本の随伴性にあるわけですよね。


 というわけで、写真は、沢田研二の「わが窮状」の収録されたCD。ゴルゴ13が愛読書で鉄砲好きの人が総理大臣になったら、ほんとにあぶない平和憲法