特教(2)応用行動分析ができればジョブコーチできるか?

marumo552008-09-22

 特殊教育学会の自主シンポジウムの、わたくしの話題提供の部分について、HPに(http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~mochi/)資料をPPでアップしました(http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~mochi/SE2008symp.ppt)。赤文字で少し解説めいたことも付け加えてあります。朝野先生や他の人のものも含め、また後日総括的にHPのほうにアップする予定です。

 
 昨日のブログにも書きましたが、飲み屋さんで、偶然、耳ダンボに聞こえてしまった会話の続き。どこかの方の「・・行動だけではない・・・」という発言なんですが、これはもう昔からよくある行動分析学に関するFAQのひとつともいえます。この問題と、自主シンポジウムのとき、応用行動分析学の方法・技術とジョブコーチ遂行のための必要技術とは一致するか、といったフロアからの質問と共通である、と勝手にとらえて復習してみます。

 これは、少し前にアップした「古い論文シリーズ」のあたりの70年代などから、学生どおしでも繰り返し話題になったこととも重なります。それは、行動分析学の記述や法則の理解・知識と、実際にそれを適用できるかどうか、というこれも古典的な問題です。昔、何度も学会などで話題になってきて言い尽された感もあるといえますが、今、もう一度考えてみたくなりました。なぜでしょうか。米子の学会では、結局、見ず知らずの酔っ払いの人の発言が一番の弁別刺激になったのかあ。
 まず記憶にある限りのメタファーや類似の課題を以下に列挙します。

0)「行動、行動というけれど、教育ってのはそんなもんじゃできない」(上記の米子市での飲み屋さんでの特殊教育学会のメンバーのどなたかの発言)
1)カメラの設計と上手に撮影するカメラマンとでは違う才能がいる(Don Baer:出典を忘れたんですが、たぶん60〜70年代)
2)行動のシェイピングは、ことばで表現すれば、ゴールに、より近い行動を分化強化するというものだが、その理屈を知っているからといって、巧みなシェイパーであるとは限らない。(70年代の動物実験グループの、誰がもてるかの時の会話)

3)一昨年、立命館の各キャンパスのジャズバンドが集結して演奏会をしたときの私がショックを受けたこと。それはBKCのビッグバンドが、サド・ジョーンズとメル・ルイスの「Central Park North」の中の1曲(だったかな)である「Child is born」(70年代あたまごろの曲)を演奏したときのわたくしの感想。「あ、こりゃ、先輩から譜面だけもらって吹いてるな。実際にサド・メルのCDを一度も聞いたことがないんじゃないか?」
4)北九州の松原先生と、「サービスとホスピタリティ」の問題を議論している場面。ホスピタリティなんて優先したらダメという自分。
5)今回の自主シンポジウムで、「ジョブコーチの作業には、応用行動分析は必要であるが、応用行動分析の学習にはジョブコーチの体験だけではダメ」と発言している自分。
6)同様の場面で、「ジョブコーチを行う個人的資質については、ぼくのブログをみてください。クッキングや映画の話題も書いてありますから」と、あんまりよくわからない回答をしている自分。
7)学生ジョブコーチの実践に対する事業所の感想として、「横にたっているだけで、なぜ支援しないのか?」とよく言われて、「そこを我慢しているのがジョブコーチの難しいところ」と理由を挙げながら、現場で実際に起きていることを想像するとき。
8)小さなNPO組織の人が「やっぱり方法論より大事なものがある」と発言する理由を考えるとき。
9)わたくしが、学生ジョブコーチと、実習先のひとつである「ちいさくまえにならえ」のロゴつきエプロンを作る理由(ってすでに完成しました。さっき生協から回収。写真参照)と、いつもユニフォームの作成に反発して着用から回避しようとする学生を考えるとき。

 後半になると、だんだん弱気になっているメタファー(?)になります。ゆえに、これはキャリアアップのチャンスかも知れない。


 と書いたところで、大学の科研費担当事務の人から電話。「せんせ。エプロン20枚の請求書がきてますけど、執行理由書作ってくださいますか?」、
 「はい、5分で書きます」
 


 
 あ、mutto先生がアメリカから帰ってきました。生霊でないか確かめるためにハグしてみました。宮部みゆきの新作「おそろし」を米子までの往復で読んだばかりのせいでしょうか。キスはやめときました。最近の海外のおみやげっていうと、なんでみんなダビドフの葉巻なんだ?