障害(学)と行動分析学と対人援助学

marumo552008-10-09

 人間検索エンジンのAさんから「引用されてますよお」という連絡をもらってリンクをみたら、以下のように障害学会の第5回大会(10月25.26日)http://www.jsds.org/jsds2008.htmの中で、石尾絵美さん(横浜国立大学)という方が発表要旨の中でわたくしの論文を引用してくださっているので、このブログで逆引用(?)させてもらいます。「対人援助」という実践的活動における行動分析学的な意味に関わるものです。また「障害学」の文脈から応用行動分析がどのように捉えられているか、という事に関するひとつの情報だと思いますので、院生諸君、「応用行動分析」、そして「バリアフリーの心理学」受講生諸君も注目してください。

 なんつっても論文を引用してくれることほどうれしいことはないので、まずは、石尾恵美さんに感謝!! 直接連絡もできないけど、石尾恵美さんがこのブログを見てくれると、さらにうれしいんですけど。

 以下、青文字部分が石尾さんの発表(http://www.jsds.org/2008html/p_ishio.htm)からの引用です。タイトルは、「障害者支援の場と社会モデル」です。

  ・・・・・前略・・社会モデルは、支援の場に何をもたらすことができるだろうかと考えたとき、やはり、社会モデルに基づいた支援の浸透を目指すことで、障害者の生活に貢献していくことが必要だといえる。障害のある方に支援を行う場において、個人にインペアメントの克服努力を一方的に要求することなく、環境や社会を整えることによってQOL(生活の質)を向上させていく社会モデルに基づいた支援をいかに可能にしていけるのか。
 
 そこで、社会モデルに基づいた支援を考える手がかりとして、応用行動分析を用いた支援方法について考察したい。
応用行動分析とは、現実の場面におきた問題の解決に行動分析的な枠組みや行動原理などを分析的に応用する方法である。望月(1995)は行動分析がノーマライゼーションの実現にいかに貢献できるかを論じている。行動分析の分析枠である三項随伴性は、行動を個体と環境との相互作用として表現する。行動を個体の属性としてではなく環境との相互作用の中で表現することは、障害を社会的な関係の中で捉え、社会的責任の上で解決するというノーマライゼーションの基本姿勢と一致すると主張する。

 応用行動分析は分析枠を三項にすることにより、行動成立の失敗を支援者側の環境設定の失敗とし、支援における責任の所在を明確にすることを可能にしている。これによって、被援助者の基本的な権利を守ることができる。このような考察から、望月は「障害の軽重を問わずに共生するための現実的で具体的なプログラムが行動分析固有の枠組みによって可能になる」という結論を導いている。
 
 たしかに、望月が示してくれた応用行動分析の枠組みは、社会モデルに基づいた支援を考える上で重要な示唆を与えてくれた。ノーマライゼーションの思想は、責任主体を明らかにできない弱さがあるという分析もあるが、応用行動分析を用いた支援においては、その責任主体を支援者が担うことをはっきりと宣言している。しかし、支援の責任が支援者にあることと、障害の責任が本人に担わされないことの差異はある。支援者が人的物理的環境設定を社会に要請することを中心に据え、障害の責任を社会が担わせることが重要なのである。この環境設定を周囲の人々や社会に要請し、実現させていくことが、ディスアビリティに焦点化した支援といえるだろう。・・・(後略)

  この石尾さんの発表についてのコメントはまた後日。 望月(1995年)では、まだ「援助-援護-教授」という連環(http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~mochi/taijin2.pdf)について明言しておらず、「援護」(=社会に対する要請)という言語行動にこそ行動分析学の枠組みが最適では?というわたくしの主張は、届いてないのかなあ?

 「社会モデル」「医学モデル」といった枠組みと行動分析学の関係については、望月(2001)の「『障害』と行動分析学:『医学モデル』でも『社会モデル』でもなく」,立命館人間科学研究,2巻(http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hs/hs/publication/files/NINGEN_2/02_011-019.pdf)も読んでもらいたいなあ。たいしたもんじゃありませんけど・・・


 写真は、明日の「バリフリ心」授業のための電動車椅子のタイヤに空気を入れてくれているボランティア☆先生。