地域連携(2)

marumo552008-10-13

 学区民体育祭に参加してみて、なんか違和感があるのは、まず、子供が出られる競技が非常に少ないということです。ちなみに全18競技のうち、小学生が出られるのは学童競争のみ。これに対して、昨日の日記に書いたように、50歳代男性である私が参加したのは自制した結果6競技にとどまりましたが(でも最多出場選手)、その気になれば、幼児競争と学童競争をのぞけば他の競技は全て参加が可能です。

 つまりこの学区民体育祭は大人の運動会なんですね。運動会といえば、ふつうは子供あるいは生徒が主役で、ほんとにシロートくさい進行とパフォーマンスをほほえみながら保護者がみる、という図式です。学区民体育祭は、進行もパフォーマンスも、ほんとにシロートくさいのに、実は何から何まで大人がやっている。

 小学生なんて、もう参加したくて参加したくてウズウズしてるのに、楽しんでいるのは大人ばかり。子供がフィールドと観客席のあいだの縄を超えると、かなり真剣にマイクで叱られちゃったりする。
 現代の日本の公共的な場において、こんなに「子供本位ではない」空間って他にはないんじゃないか。明るい運動場での「18禁」みたいな。そこがとても非日常的。

 もうひとつ違和感があったのはカメラでの撮影です。こちらはなんせ体育委員デビューで、家族連れでもないので、身の置き所がないと予想して、例によってカメラでばしばし撮影してたわけです。すると、同じ地区内の顔見知りの人から「おたく、お仕事もカメラ関係?」とか尋ねてくる。別に怪しいという理由で聞いているというのではなく、ほんとにそぼくに珍しいものをみるような口調で、何人もの人が尋ねてくるわけです。ふと気づくと、入門機とはいえ一眼レフで撮影している人は、自分以外に誰もいない。というか、ほんとうにカメラで競技の様子をとっている人が全くといっていいほどいない。

 体育祭が終わって、懇親会まで1時間ほどあったので、気をきかせたつもりで、100枚近く撮った画像をベタ焼き状態にしてプリントして、希望者は部屋番号書いてくださいといって、席を回してもらったのですが、男性はほとんど、ちらっとみるだけで、すぐに隣へ回してしまう。からくも夫人グループの人たちは時間をかけてチェックしているけど、それはせっかくプリントしてきた僕に気をつかっているようで、やはりなんか違和感の空気が流れているような気もする。

 長考。子供の運動会と違って、この地区住民の体育祭っていう集まりにおける、相互の距離の置き方っていうのは、実はプライシーと親密さのきわめて絶妙なバランスの上に成り立っているものなのか。なんせ、こちとら都会のセレブな街で生まれ育った(ほんとか?)シティボーイ。こういうご近所や地域のおつきあいというのが珍しくて楽しくて、舞い上がっていたけど、これは、なかなか大人の関係なものがあるのかもしれないです。


 撮影されたプリントをみる男性群の表情は恥ずかしそう。というか、何か見てはいけないものをみた、あるいは、犯してはいけない禁忌を、よそ者が無邪気に破ったけど、それを口に出して言うのもなんなんで、とりあえず恥じらっているような表情を示している、という感じ?
 
 地蔵盆と学区民体育祭はサボると村八分という話は、半ば冗談だと思っていたのですが、前者は、まあ当然なんだけど、学区民体育祭も実は京都の一種の神事なのか。それだったら、子供の参加もカメラ撮影も実は暗黙のうちに御法度というのもうなずけます。京都の日常の中のディープ。気分はもうレヴィ=ストロースか星野宣之。


 写真は、なるほど神事にもみえるスタートフラグ