つくばエクスプレス

marumo552008-11-02

11月1日、つくば国際会議場で開かれた「特別な教育的ニーズがある子どもの理解と支援を考える:学校生活・社会生活を豊かにする指導と支援」というテーマの講演会andミニシンポジウムに、「特別支援教育における対人援助学のすすめ」という演題で講演させていただきました。筑波大学のY先生の科研費基盤Aの成果and社会還元事業。

 
演者は私と京都K大学のS先生のふたり。前日に送られてきたS先生のレジュメをみると「個別支援計画」などの内容がカブリそうな感じだったので、ここはひとつ、S先生は官立大学の立場、わたくしは民間大学(?)の立場、という風に勝手な設定をして、いつもの内容(ほとんど「日本行動分析学会」のときと同じ中身です。今年度は、ここがツアー・ファイナルの見込み)を、第三セクターとしての私立大学の立場を無理矢理強調して、「学生ジョブコーチ」の話などを織り込みつつ話をさせてもらいました。
 

企画趣旨書によると、テーマにある指導と支援という表現について、「学校現場で、支援という用語が用いられる頻度が高まり、教師の役割に対する認識が揺らいでいる現状をかんがみ、指導、支援、援助等の用語のとらえ方についても、講師の先生方に各人のお考えをご示唆いただきたいと考えての設定です」とありました。さらには、この科研費プロジェクトの表題には「インクルーシブ社会実現に向けた包括的支援システム開発」とあります。


ということで、「インクルージョン」の具現化のひとつとしての特別支援教育を考えた場合、「支援」という表現はしごく適当なものであり、それによって教師の役割の「認識が揺らぐ」と言うのは良い意味であって、揺らいでくれないと困る、むしろ、より積極的に「役割は変わった」(変えなければいけない)と認識したほうが良いのでは、という話から始めさせていただきました。「対人援助学」で言うところの援助・援護・教授という3つの機能とその連環の中で、インクルーシブという意味は、障害のある個人における行動の成立に対して、この連環図式の中で、まずは新たな環境設定(=援助)の作業から取り組むべきこと、そしてそれには必ず社会に向けての要請(=援護)が伴います。支援者(対人援助者)としての教師は、従来の教授のみでなく、この「援護」の部分が不可欠な、あるいは比重がきわめて大きくなったという点が、役割の変化ではないか、ということです。


そして、この「援護活動」というひとつの言語行動の具体的なシステムとして「個別の支援計画」というものがあるということです。個別の支援計画とは、「FA宣言をした野球選手のキャリアアップのための書類」というコピーで説明しておりますが、まさに先生は個人マネージャー兼コーチとして、この書類によって、生徒のプロモーションを上手にはからなくてはならないわけです。そうして考えれば、内容についても、常に最新のものが必要であり、また、選手の故障部分ではなくて、どんな条件が整えばベストなプレイができるかという、次のチームへの大切な移行情報が求められます。

 学生ジョブコーチは、いわば外部から選手に雇われたマネージャーのようなものですが、それゆえ選手が現在所属しているチームの事情や利益に束縛されずに、本当にその選手中心に、その得意技を発見したり堂々と表現することができる、ということもあるのではないかと思います。


今回、初めて、つくばエクスプレス(写真)に乗りました。早起きして筑波を日帰りという、まさにエクスプレスな一日でしたが、N先生、駅まで送って下さってありがとうございました。お世話になったY先生ほか、関係の先生方や院生のみなさん大変お世話になりました。