バリフリ心(その5)資料をアップします。

marumo552008-11-11

 前回のコミュペのフィードバックも、まだ「まとめ」ができていませんが、次回の資料をアップします。

 これまで、携帯電話のメイルや写メールを使った遠隔地コミュニケーションの可能性を紹介しましたが、そこでも参加してくれていた、知的障害のある「ろう者」の人たち、そういう人たちが、一般的に過去どのような教育を受けたり、現在、施設などを利用している人がどのような状況にあるのか。
 さらに、わたくしが愛知県コロニー時代に、そのような人たちを対象に、「概念」的な内容を、聴者であるわれわれとどのような形で共有することができるか、という課題について、条件性弁別課題という手法を中心に研究した内容を紹介します。
 
 まず「物に名前があることの学習」とはどのようになされるかについて、ヘレン・ケラーやその他の史実から考えます。その上で、「複数のモード」を持つことが、「名前があること」の学習にどう意味を持つのか、さらに、そこから進んで、「物には名前がない(単一の名前を持つわけではない)」という学習に進む過程でみられた必要な環境設定の準備にからみ、聴者サイドから彼らの実力を過小評価してきたんじゃないか、という可能性について考察します。少数派の人たちの言語というものは、ともすると多数派からみれば、なにか不足した物にみえがちです。しかし、相手の持つ固有な表現方法や現在の言語的な環境設定の中では、きわめて多数派の都合でそう見えるだけかも、という話ができればと思います。


 PPは、 http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~mochi/08BF5.ppt
 PDFは、http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~mochi/08BF5.pdf

いずれも、大変重いファイルですので覚悟してDLしてください。4メガくらいあります。