刺激等価性とQOL

marumo552008-12-07

Takatate先生のコメントを再掲します(青文字)。それとリプライ(黒文字)

うちの学校では個別の教育支援計画を見直そうというプロジェクトチームがあって、そこのアセスメントの部会で「できる!」を軸としたチェックリストをつくれそうだというところまで前回コメントしました。なぜ、「できる」にもっていけたかということですが、よく分かりません(笑)。言ってみたら反論なしでした。

「できる」を軸とすることには誰も反論はできないと思いますよね。

で、近況ですが、アセスメント部会を外され、実践段階(他機関との連携)を検討する部会に左遷されました(笑)。

 僕もチェックリストを作ったけど(KO大学のかなりパクリですが)、「倫理とコンプライアンスは違うぞ馬鹿!」とか発言して全学倫理委員会を首になりました。よくあることです。

ということで、図らずも、より「できる!」を積み上げていく方策を検討できることになりました。行き詰まりましたら、また、ご助言よろしくお願いいたします。

他機関との連携という「コミュニケーションの場」でこそ、個別の教育支援計画という言語行動が意味を持ちます。良いポジションに就かれましたね。

で、部会のメンバーには進路指導の担当者などおられるのですが、その先生は、卒業生の就職率をグンと上げるすごい方です。ですが、その先生は、豊富な就職先とのやりとりの経験から「できない」ことは何か?を腹を割って伝えることが大切であると言っておられます(多分、キャリアアップではなくて、就職が学校としての最終目標となっているのではないかなあと危惧されます)。

 これからも、そういう凄腕マネージャーが必要であることは事実です。たぶんそういう先生は、卒業後もあれこれとフォローされていると推察します。そういう先生の現在の技術やノウハウも組みこんだかたちで、就労「継続」も視野にいれた支援計画の書式とマネジメントができればいいですね。「できないこと」をあらかじめ明記しておくことも重要ではあると思います。でも「『できないこと』とは何か」「『できること』とは何か」、そして、それらをどう伝えるか、という問題は絶えず議論していく必要があると思います。『できないこと』を伝えた上でも採用されるからには、何か秘訣があるはずですよね。


なんとか「できる!」を積み上げていく方向へ、丸め込みたいなあと思っています。そこで、今年の行動分析学会のPPTを軸に先生のブログやHPの資料を使用させていただきたくお願いいたします。

 資料はどうぞご自由にお使いください。そして「丸め込む」というより、その先生のノウハウも活かして協働的に展開されることを期待します。

とりあえず、1月からうちのクラスのお子さん(小2!)の保護者の皆様(できればバスの添乗員さんと学童保育のスタッフも巻き込んで)と一緒にポジティブに「できる」探しをする関係づくりを試みたいと思います。また、報告させていただきます。

 楽しみにしております。


ところで、学生の皆さんの中に混じってお伺いさせていただきたいのですが、等価関係についてです。今年の行動分析学会で某R大学のS本さんが自主企画シンポジウムをされたところで、実験の立場から等価性の成立について訓練構造からの違いはあるかというのがありました。
線形(LS)A→B→C
一対多(OTM)B→A、B→C 
多対一(MTO)A→B、C→B
で、どうやらLSよりOTMが、もしかするともうちょっとMTOが効率的だというような資料を見て、「へーっ」とおもったのですが、実際の生活場面ではいったいどういう状況なのか・・・。

 はい。これはS本さん自身に答えてもらいましょう。おおい、S本さああん。

で、さらに最近の書き込みを見て、ますます「へー」勉強になるなあ・・・。・・・実際の授業では、たくさんの弁別刺激を一斉に提示して、反応が出ればいいと思ってしまうので・・・写真と文字のカードを提示しながら、音声も表出して、さらには指差しや視線も使っていたりして・・・。AとBとCとD→E(一応MTOか)みたいな
(で、実際の生活場面に使えないプロンプトはフェイドアウトしていければいいのですが・・・。)

 ま、数打ちゃあたる(笑)ということもあると思いますが、現状での言語行動のレパートリーをアセスメントしたり、どんなタイプの学習方法がその個別の生徒さんが得意なのかといった「教授」の方法に関して、分析的な吟味というのはやはり大切だと思います。シッドマンは等価性にかかわる研究発表のスタートである1971年に、2つ論文を書いていて、そのうちのひとつは有名な、まさに等価律にも関わる「派生」の発見(というか再確認かな)に関わるものなんですが、もうひとつの研究は、「失語症」といわれてきた症状のアセスメント方法に、様々な刺激と反応のモードの組み合わせの中で、どの組み合わせならできるか、できないか、ということを分析的に検討したものです。失語症に対する対応というきわめて実践的な研究ではあるのですが、そこで十把一絡げに対象者を「失語症」と表現してしまうのではなく、条件性刺激と見本刺激、あるいはそれによってひきおこされる反応のありかたという行動的な表現によって、実はいくつかのパターンに分類できることを示したものです。やはりそのような分析的態度というのは、アセスメントはもちろんのこと、教授過程にも必要ではないでしょうか。 

とりあえず、一対多でも多対一でも、等価関係ができることでの行動的QOLが向上する場面って、どんなもんでしょうか?

 QOLの定義は「行動の選択肢の拡大」です。「読み書き行動」に特化したような意味で、等価手続きの節約性を利用した語彙拡大を図る実践については、ま、語彙拡大すれば言語行動のレパートリーも増えて、それにともなってQOLも拡大するだろう、みたいな、実は、ほとんどユニークな意味のない回答もあります。
 QOLということを考える場合、その「語彙」の内容、それによる実際の言語行動の機能が、上記のQOLの定義に沿ったものであるか、ということだと思います。
 ちなみに、「味名の獲得」についての等価性手続きに関する研究は、実践的目的としては、バブリーなグルメ時代の当時、「ろう重複」のある成人である対象者が「甘い」、「からい」といった言語行動のレパートリーもないのは、あんまりじゃないか、というようなものです。勝手に定義しているQOLの第三段階である「現状の選択肢以外のものの要求」として「何か甘いものが欲しい」といった表現を最終的にはねらったものです。
この研究では、推移律の積極的活用といった「迂回路」を経て初めて、味名の表現が可能になったわけです。広義の「刺激等価手続き」によって、味覚刺激にまつわる言語行動が初めて成立したという顛末です。
 ただし他の要求言語行動などと同様に、食事に関わる制度も変えるという「援護活動」も必要なんですけどね。
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/other/aichi_col/z01/z01020/z0102001.html 



 写真は大学院説明会で行った淀屋橋の大阪オフィス界隈。なんか中国のどっかの写真みたいだな。