キャリア・アップ再考

marumo552009-02-10

 このブログの元締めの「はてな」の、教育ソリューション:「授業で使うはてな」(http://www.hatena.ne.jp/company/education/)というサイトに当ブログがリンクされたのに、新車試乗の話がいきなり出てくるのでは、ちょっとまずかろうと思い、書きかけ原稿アウトレット。ちなみに上記サイトには、中鹿先生のブログが事例として出ています。ま、そちらの流れで、こちらも紹介していただいたんでしょうけど。



 「キャリア・アップ」という用語は、一般的には就労系で使われる言葉ですが、ここでは障害があろうとなかろうと、「当事者が好きで続けられる行動の選択肢の拡大」という一般的目標をあらわすものです。かつては教育の目標の基準として「発達」といった概念が使われましたが、インクルージョンの時代にあっては、その内容を含みながらも第三者が一方的に外的な基準によって「客観的」に決定するようなものではなく、これまでQOLという概念が一般に普及したのと同様に、当事者一人ひとりの好みや選択を重視したものになっています。

 「QOLの拡大」という用語を使わずに、キャリア・アップという用語を用いるのは、そこに当事者における「変化」を強調している点です。しかし、繰り返しますが、この「変化」とは従来の治療・教育的な意味での個体の属性的変化のみではなく、あくまでも、環境との関係における「できる」(山本淳一)の変化であり、その変化は、環境の変化も伴うところに特徴があります。これは先に述べたように「包括支援」でいうインクルージョンを実現するために当事者の生活している社会も対象に含めて支援作業を行うことを意味します。

 キャリア・アップという用語については、多くの京都市の先生方にも参加をいただいた一昨年の「連合教職大学院GP研究授業」以来、われわれは障害者の支援全般に用いています。
 実のところ、キャリア・アップという用語については、当初、教育関係者からも福祉関係者からも反発がありました。その反発の多くは、「アップ」という語に含まれる何か強迫的な上昇志向のイメージが、障害者当事者のみでなく、そこで支援をおこなう援助者の仕事にもそれを押し付けられることに抵抗を感じるというものが大部分でした。とりわけ教育や福祉などの関係者からは、企業の生産性や利潤をあくまでも目的とした個人の能力の拡大という発想が、学校や福祉現場における子供や当事者に対する支援の目的とは容れないという意見も聞かれました。
 そうした状況にあっても、あえてこの「アップ」という変化を表す語の入った用語を使うのは、障害のある個人の支援において、それはまた健常者も同様であろうと思いますが、単に一定の水準に達したら完了というのではなく、生涯にわたり何らかの形での「よりよき」状態への改善という態度で支援を行うことが必要であり、そうしたミッションをあらわす意味で適切ではないかと考えられたからです。
 「よりよき」という意味は、当事者の行動の選択肢の拡大であり、その内容となる行動とは、行動分析学用語でいうところの「正の強化で維持された行動」です。この意味において「行動的QOL」の概念と同様です。これまでの京都市の学校関係の研修でも再三お話をしてきましたが、この「正の強化で維持される」というのは、報酬を得る、誉められるといった外的な強化子を用いる場面にも適用されますが、それは「過程」における教授の手段として、また厳然として生きるための必要条件ではあるものの、ここでもっとも強調したいのは、その選ばれた行動によってある種の「達成感(やったぜ)」が得られ、それゆえ継続したくなるような、そうした特性を結果的には持つ行動の選択肢を担保しているということです。

 このキャリア・アップに含まれる「達成感」という要因は、教育や福祉分野ではなく、むしろ、企業における社員が継続的就労を実現するための原理として重要視されています。それは単に給料やポジションが上がる、というだけでなく、仕事を「より楽しむことのできる」状況に変化させていくということです。そうでなくては良い仕事にならないのです。嫌々やる仕事は、外的な最低基準までしか自発されませんが、自らが達成感を得るべく、仕事をとりまく環境設定を改善し、それを説得力をもって表明し定着させるという「カイゼン行動」のレパートリーをもつ社員は、さらなる創造的な仕事をみずからが開拓していきます。その場合には、行動の効率も高まり、結果的に、そのようなことのできる企業においては社員の定着もよくなります。
つまり、就労の場において、キャリア・アップの実現というのは、単に地位が「上昇する」ということではなく、ひとりひとりの社員の「就労継続」のために不可欠なものであるということです。「やりがいのある仕事」の実現には、当事者の選択や属性と適合したものを「マッチング」することもひとつの要素ですが、何より大切なことは、その個別の仕事内容を超えて、どのような仕事でもより「楽しくすること」と生産や効率の両立をはかれるような方法の工夫を、当初は先輩や組織がそのことを積極的に支援しますが、最終的には、社員ひとりひとりが、就労環境を変化させるためのスキルや、そうした自発的な自己管理(セルフマネジメント)行動を促進する職場環境を作っていくことこそが求められているわけです。言うまでもなく、ひとりひとりのキャリア・アップの実現が、企業にとってのキャリア・アップにもなるわけです。この個人にとってのキャリア・アップの実現が所属組織のキャリア・アップにもなるという相互にWIN-WINとする、という状況を実現している企業が、障害者就労を積極的に実施しているユニクロに代表されるような、現在成功している企業とさえいえると思います。
 
 このような意味で、企業であれば必然的にとられるであろう「キャリア・アップ」という概念は、個別の社員を「よりよき」状態にするという支援を必要とするという意味で、実はきわめて「教育的」なものともいえます。
 
 学校教育ではこのような発想や方法がとられてきたでしょうか。特別支援の文脈で、この数年、われわれは、養護学校などの実践に参加してきました。もちろん担当されている先生方の奮闘は敬服すべきものであり、またさまざまな就労実習を学内・学外で実践されていますが、ほんとうに「働くことが好き」になるような支援ということを優先できているかどうか、つまりは「できるから続けたい」「面白いからカイゼンもしてみたい」という当事者の「キャリアアップ」のためのプログラムを意識的に組んでいるかどうか、という点が気になります。

 (以降は、京都市から出る「障害者の就労支援の推進に関する報告書」(仮名)に続きます。いまこの報告書の調査まとめの締め切りと院生諸君は奮闘してます)


 写真は、おもわず唸った「ワックス塗布の注意書き」の味わいのある筆跡。手書きだと思いますが、もしかしてこういうフォントがある?!