ファーストステップ・ジョブグループ特別例会(大阪)

marumo552009-02-22

 FSJGの特別例会:講演会「今、必要な援助〜『脱ひきこもり支援』FSJGの活動からみえたこと〜が、大阪市総合生涯学習センターで開かれました。
 代表の上田さん、私、愛教大の川北稔先生、きょうとNPOセンター野池雅人氏の4人で、リレー。野池さんと一緒にFSJGでしゃべるのは2年前の特別例会以来か。でも、もうなんか、時々同じメンバーでライブをやるバンドみたいなもんですね。今回は、新しいキーボードに、じゃなくて、外部からのスピーカーとして自称「FSJGのおっかけ」の川北先生にも総括してもらいました。
 
 今回は、普段以上に質疑応答も活発で、
1)「やはり親も変わらなくてはいけないのではないか?」
2)親の「意識」が変わらなくてはいけないのではないか?
3)「たまり場をえらく否定的に表現されていたが、有効な場合もあるのではないか?」
といった、FSJGの特徴を明確にしてくれるような質問もスピーカメンバーに寄せられました。
 1)2)はほぼ等価の質問といえます。確かに、子どもに「仕事jobを創出する」という新しい行為は「親が変わる」に違いありません。しかし正確に言えば、「親の『行動』が変わる」です。「意識を変える」といったドラマチックなものを最初から想定していません。親御さんが一人でやろうとする場合は特にそれはとかく難しい問題になってしまいます。
 最初は「こんなことで良いのか」というような、子どもの「今」を(でも)認めることのできる行動を発見したり創造していくことは、やはりFSJGのような、相互に表現・報告できる聞き手としての機能を持つグループだからこそ見出しやすいものです。
 そして、そういう具体的な内容を実践してそれを表現し認められることで初めて「意識」も変わっていくものです。また、これまでの「親が変わる」というのは、すぐに「親が変わらなければダメ」につながります。「専門家」から、脅迫的に「親が代わらなければダメですよ」と言われるものの、具体的にどのようにすればよいかはさっぱり教えてくれない、そんな状況に失望した人たちがFSJGを始めたわけです。

 3)の「たまり場」ですが、(だいたい、たまり場に出てこられる人をひきこもりと言えるかという議論はさておき)この手の援助で実践して成功した人もいるのは事実でしょう。でも、それは「たまり場」という物理的設定が重要なのではなく、その場の設定によって、たまたまある当事者のある行動が認められやすくなり、それが社会へと進展した場合でしょう。どの人にも通用するとか、しないとかではなく、絶えず必要なことは、ひとりひとりの当事者における「今、行動を認める」という援助者の行動の原則とロジックです。「たまり場で何をやってもよい」、といわれても当惑する人はたくさんいるでしょう。「何をやってもよい」というのは、いわゆる「受容」の流れだと思いますが、「たまり場」+「受容」という方略は、それが対象となる当事者の行動成立についてなんのロジックも持っていない場合には、「物理的援助設定」+「放任」の意味しか持ちません。自己決定における選択行動もそうですが、行動問題の対応についての受容と称する「放任・追従」と同様に、そこでは行動(とくに特定の行動:ここではjobをする)に、具体的にどう対応するかという支援のありかたが見えてきません。それでは、結局、『待つだけ』のひきこもり支援です。

 1)から3)の質問や誤解に共通する回答は、それ自体が良い/悪い、あるいは折衷的なものも良いのでは、といった、手段の「横並び」からの選択や単純足し算の話ではなく、必要なのは、FSJGの行動原則でもある「GivenじゃなくてGet」(与えられるのではなく自らの行動(get)を)支えるということ、そして対人援助の基本は「正の強化で維持される(ひとりひとりの当事者がやりたい)行動の選択肢の拡大」であるという、シンプルな原理・ロジックを適用すればよいということです。

 就労支援も同様ですが、「行動成立を支援する」とする二人称的な関わりに関する、以上のような原理・ロジックが欠けているので、いつまでたっても、新しい事例については、またぞろ平均値的な方法を試しては、できない場合に嘆いたり、やみくもにゼロスタートすることになるんですね。

 当日のわたくしの話は、http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~mochi/FSJG090222.ppt
http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~mochi/FSJG090222.pdf