修士論文、記録簿の記載

marumo552009-02-26

 この季節、修士論文の記録簿というものを書く必要があります。これは主査(ほとんど指導教員があたる)が、提出された修士論文を査読審査した結果と、その後、本人を呼んで口頭諮問を行い、その議論も踏まえた結論を記すものです。

 10年前、現在の大学の文学部に勤め始めた頃、教授会で、学部全専攻の記録簿を、担当教員が説明紹介するという「儀式」がありました。延々と、他専攻の修論の中身と評価を聞くわけです。まるで車を運転しながらラジオで放送大学の普段あまり縁のない領域の授業を聴いているような感じで、内職しながら、時々、居眠りしながら聞いたりするんですけど、自分の番が来ると、短時間に破綻なくプレゼンしないと学部長に突っ込まれるので、それなり緊張感をもってやらなくてはなりませんでした。最も大変なのは、当該修論の副査をやった論文について、主査が何かの用でその場にいないとき(何でそういう事が起こるか不思議ですが良くありました)、主査の代わりにプレゼンしなくてはいけないことです。
 「え!俺?」みたいな感じで飛びおきて、瞬間的に主査が書いた記録簿と、とうに過去のあやふやな記憶となっている口頭諮問の様子を必死で思い出して、もっともらしく説明することになります。苦し紛れに、その場で脚色・創作すると、近場で聞いている同僚達が、笑いを堪え切れずに身をよじっている様子が周辺視野に映ります。

 てなことも過去の話。今はもっとビジネスライク。応用人間科学研究科では60名からの修論が一度に出るのでいちいち口頭で紹介せずに回覧。

 しかし、ここで改めて思ったこと。記録簿の記述の量にけっこう差がある。概して行動系(つまり私とMutto先生など)は短い。びっしりと手書きで書く某研究科長あたりから文句でるかなと思いつつ他の人の文書をみると、さらに上手がいて、ショートメイル程度しか書いてなかったA先生(実名のイニシャルと対応ありません)の文書が俄然目立ったのでしめしめ。

 黙っていればよかった。止せばよいのに、A先生のものがショートメイルだと発言してしまった。こういうのを藪蛇(やぶへび)という。改めてその場で読み直した研究科長から、A先生だけでなく私のものも負けずに短いということで、書き直しを命じられてしまった。A先生からは恨まれるわ、自分も書き直しをしなきゃならんわで大後悔。

 しかし、悔し紛れに、行動系の記録簿について言わせてもらえば、記録簿の記入に手を抜いたんじゃなくて、そもそも行動系の実践はロジックがあるから、短い文章でも何をやったか十分に表現できちゃう、という事なんですよね。改めて感じたものです。