応用行動分析と「10歳の壁」

marumo552009-06-21

 あすの学部「応用行動分析」の授業資料は前回のもののキャリオバ−。行動の記録についての後半部分「一事例の実験・実践デザイン」に関して解説します。
 さて、前回ブログの「10歳の壁」については、NHKの番組をみていた人も多いようで、当ブログへも検索ワード「10歳の壁」経由で多くの方が来訪してくれています。
 かつて、同様に「9歳の壁」という表現で、当該年齢の子供の抽象的思考の「発達」の、つまずきについて岡田夏木氏が1986年「心の科学」で、あたかも当事者の発達に問題があるような表現をするのではなく、教育行為の壁として捉えるべきである、という記事があります。(図参照)

 
 わたくし愛知県コロニー時代に、10年以上にわたって聴覚障害と知的障害を併せ持つ成人を対象とした言語行動成立の実践研究を行ってきました(http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~mochi/14-Mochizuki(1998-1999).pdf)。 当時、最近の「10歳の壁」同様に、「聴覚障害者」は抽象的概念の理解に困難を持つ、ということがよく言われていました。しかし、それは、聴者の側からの一方的見方であって、当事者の「能力」や「発達」の問題としてではなく、あくまで教育方法、あるいは、ろう者と聴者の相互の言語行動の特性の違いが生み出すアーティファクトではないか、ということを、前記した「研究シリーズ」の中で確認してきました。当時の「ろう文化宣言」とも軌を一にする内容なんですけど、それを行動分析学的に、言語行動の機能的な記述方法の問題として実証的に研究したものです。(って、そこまで立派なもんだったかな?)

 
 それらの研究の中で、前期した岡本夏木氏の図に表記した引用部分を含んだ論文「聴覚障害児における『抽象的概念』の獲得援助に関する予備的研究:「物には名前がないこと」の理解への教育段階的アプローチ」(聴覚言語障害,22,1993)を以下にリンクします。
 http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~mochi/mononiwa.pdf



 今次、問題になっている「10歳の壁」ですが、さすがに、NHKの番組の番組においても、一方的な「発達段階」の問題としてではなく、いわば「教育段階」の問題として扱われていたようには思います。しかし、今回の「抽象的概念」「文章題理解」等々の課題となっている問題を、「何を教えれば良いのか」というコンテンツの問題としてのみ扱っている以上、「教育の壁」はなかなか超えられないように思います。


 上記した「物に名前がないことの理解」というのは、簡単に言えば、他者との言語行動のやりとりの中で、ある一つの対象に対して「これは何か」と問われた場合、必ずしもひとつだけしか「名前」がついているのではなく、色々な答え方があり、状況によってその回答内容を変化することを学習するということです。たとえば、お菓子を見て、その「名前」として、「チョコレート」という回答が求めらる場合もあれば「甘い」という回答を求められる場合もある。色を答えたり形状が求められている場合もあります。
 という具合に、様々な答えがある中から、人はどうやって答えているか、ということを、「条件性条件性弁別」という図式で分析し、話し手と聞き手の間の「齟齬」はどのように解消しうるのか、ということを示したものです。そのことが、ひいては、実は「おおざっぱ」に抽象的理解が難しい、と言われている個人に対して、現在どのように物事に命名しているのかを個別に分析し、それが必ずしも個人属性としての「能力」や「発達」段階的な問題として診断するのではなく、「抽象的理解ができている(と思われる)人」と「できていない(と思われている)人」の間をつなぐ上で必用な「てだて」が存在し、必用とあればそれを教育段階的アプローチとして処方箋を出すことができるのではないか、ということです。

 刺激等価性で有名なSidmanが、1970年ころに最初に関連研究を行った内容も、「失語症」の個人について、おおざっぱにではなく、まさに条件性弁別という形で、先行刺激の条件性の構造や反応形態を詳しく分析して、個人差を客観的に表現したものです。

 「10歳の壁」に関しては、いわゆる「心の理論」のような課題場面の問題点も含まれているように思いますが、これも、同様に条件性条件性弁別という表現方法で、処方箋つきの分析が可能ではないか、と思ったりしています。


 NHKの番組で紹介された「100枡計算の問題点」についても、それを問題にする際には、課題の分析ではなく、それに伴って子供自身がどういう形でそれに対応(回答)しているかを、もっとていねいに分析する必用がある、というのがまず一点。そして、どんな課題であれ、そこで子供自身が、そこで示した「できること」を、「大人」の狭い意図からはずれていたからといって、それを切り捨てて本道にもどすようなことばかりするのではなく、その「できること」に注目して、それを認めた上で、そこから積み上げていくということが大切なのだと思います。


 百マスだけではありませんが、ある反復練習などをパッケージにした教育プロジェクトの第三者評価者として私が参加した際のコメントを、以下にリンクしてあります。そこでは、「反復練習」という課題設定は、生徒と教員の間にどのような関係を生じさせるのか、といったプロジェクトの当初の「意図」とは違う現場での先生のがんばり(工夫)について述べています。
 http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~mochi/summit.pdf 


 「9歳の壁」の行動分析的な対応については、後期の「バリアフリーの心理学」で詳しくやります。