面会

marumo552009-07-25

 東京に来たので、母親を訪ねて、高齢者施設Dにほんとに久しぶりに出向きました。ちょうど「カラオケタイム」とのことで、プロの「流し」みたいな人がギター伴奏で、「昭和の歌謡曲」特集みたいなセッションをやってました。りんごの歌、青い山脈・・etc。こりゃ、うちの母親には無理だな。しょうがないから参加している、という顔で後ろのほうに座ってました。
 
 いつも、母親を訪ねるたびに、「行動的QOL」の定義について考えてしまいます。肉親としては、やはりなにより、笑顔で過ごせているかが気になります。これは、結局、主観的QOLに近いことなのか(Happy Indexは、やっぱり気になります)。「受付」の人の概況報告では、母親のために特別に、作詞家だった祖父(母親の実父)の歌を選ぶとうれしそうにされてますよ、という話なんですが、確かにそういう個別対応をしてくれたのはうれしくて感謝の限りなんですけど、ここがお母様のツボでしょ、みたいに、訪問するたびに言ってくれるのもやや複雑な気分です。「preferenceと選択機会の設定は別のこと」と授業で繰り返し言ってる身としては。もちろん、そんなややこしいリクエストはスタッフの人には言えません。

 しばらくカラオケタイムの様子をみてたんですが、ほんとに、めったに面会に来ない親不孝な息子のために、スタッフの人が気を使ってくれて、集団の輪から母親を連れて居室に戻るように取りはからってくれました。しかし、本人はわたくしが誰だかさっぱりわからない様子で、なんで私と部屋に戻るか、きわめて怪訝そう。不安そう。
 
 数年前までは、説明すれば大筋で息子(わたくし)の存在を、(多少意外なんだけど)認めてくれる風だったんですが、去年くらいから、「あなた(私)は、わたしの夫?」という理解。ま、それでもいいかって感じだったのですが、今回は、「あなたは、わたしの父親?」って、こちらが歳とったせいなのか、本人がだんだん「若がえって」いくのか。
 でも、父親って、ちょっとそれは・・・。「娘」を施設に預けてほとんど顔をみせない「父親」の役は、本人の心情を察しても、それはいやだなあ。

 こういう本人の理解についてどう振る舞うべきか。現状の「理解」を受け入れるべきか、ほんとうの事を言うべきか。後者を選べば、混乱して悩むことは明白。ここでいつも態度を決めかねてしまいます。ここで客観的な立場からはどうなんだろうとか、インフォームトコンセントという観点からはどうなんだろうとか、ぐるぐると思い悩んだ末、結局、自分も当事者もつらくても、「ほんとうのことを言う」方を選んで「実は、む・す・こ」てな事を言ってしまうのですが、とくに今回は納得がいかない様子。

 「あなた(私)は、どうみても、私より年上じゃないの」と言われてしまった。ひげ剃ってから行けばよかったかな。前回も同じ後悔しました。
 持って行ったプリンを「なんて美味しいの!」と食べてくれたのが救いです(って、いつもお菓子は例外なくうれしそうに食べてくれます。似てるなやっぱり)。 いつまでも、お菓子を美味しく食べられますように。