ひとり反省会

marumo552009-08-28

 個人的には波乱万丈なことも多かったのですが、総体としては無事に心理学会は終わりました。諸先生方、院生、そして学部学生のみなさん、ボランティアでイベントを開催してくれたみなさま、ほんとうにご苦労様でした。って、お礼を言うほど自分は働かなかったんですけど・・邪魔にならないようにしてるのが精一杯で・・・

 シンポジウム「たすける・いきる・みせる」改めて一人考察(得意な後出しじゃんけん)。研究倫理ということをキーワードとして、「対人援助学」と「生存学」というふたつの新しい領域を立ち上げること、その実践や方法を示すこと、つまりは「みせる」ことが、なぜ選ばれてあるのか。
 両者ともに対象(あるいは当事者)としている個人や状況はほぼ類似したものあるとすれば、それを「あらわす」側との関係に相違があるのか。心理学会という場で考えるなら、それはこれまでの心理学に何を差別的に示そうとするものなのか。それが研究倫理のまずはコアな部分であろう、と。
 武藤先生と立岩先生の話を聞いて感じることは、昨日もブログで「話題提供者の服装にも表れている?」と書きましたが、対人援助学というのは「プロ」の方法であるのに対して、生存学というのは徹底した「アマチュア」の方法としてとらえればよいのか。もちろんどっちが良い・悪いではありません。武藤先生の発表は、対人援助学というより行動分析学のスタンスといったほうが良いと思いますが、もとより行動分析学には「業務用心理学」という別名もあるし。
 プロとしては、業務内容としての、「こちら」の関わりと当事者の行動との関係について「あらわす」ことは業務報告として義務です。とりわけ、当事者の行動成立に必要な、今だ、一般的には無い環境設定(=援助設定と呼びます。対人援助学では)が「実験的」にあるいは論理的に想定されるとき、その援助設定の定着について、説得力を以って社会に要請していく、つまりは「あらわす(=援護と呼びます。対人援助学では)」ことが不可欠であると考えます。この説得力というところで行動分析学は「科学」という枠組みや定量エビデンス(平均値的な集団データという意味ではありません)に頼るところがあります。そういう中で、これも説得力を持つうえで「ロジック」(一定に一般性を持つ原則というくらいの意味で)というものも重視することになります。武藤先生は、上記のような作業の中で、プロとしての仕事(そしてプロであるからには)、絶えず自らの作業の機能をみかえし、また方法そのものも見返す再帰のロジックとして、「随伴性」という装置を提案されたわけです。
 一方、立岩先生の「生存学」のほうは、「あらわす」人というのは、プロもアマもない、そこにはたぶん当事者自身が「あらわす」ということが最前線にあるのだと思いますが、特定のロジックに拘束されない、その意味で徹底的アマチュアリズムを主張されているように思えます。誰が「あらわす」のか、それは誰でもよい。たまたま関わった様々な人が、たまたま目撃した人が、「あらわす」ことを続けて行くこと自体が重要である、と。
 
 対人援助学(あるいは行動分析学においても)においても、もちろん当事者が主体であることには違いがないのですが、私も思わず口に出してしまった、「そこまでロジックなくて良いかなあ!」と感じてしまった危惧は(この質問自体の是非はさておいて)、あくまで「プロ」としてのスタンスからだったんですね。それに対して、たぶん立岩先生は、積極的な意味で「おれら、別にプロじゃないし」といったところでしょうか。

 プロだとかアマだとかの表現しましたけど、改めて「学生(院生といってもよいですが)」って、何だろうとも思い至ります。「対人援助学」のほうで、今やっている学生ジョブコーチシステムに関して、企業、学校、そして学生にも、障害者就労支援において第三セクター(?)として「大学(=学生)しかできないことがある」と、これも一種の積極的なアマチュアリズム宣言をしています。しかし「ふつうに」技量のないという意味でのアマチュアでは、援助も援護もできないわけで、そこで就労の教授の訓練や援護(プレゼン含む)の技術修得が必要になってきます。当然そこではそれぞれのロジックの理解・修得も求められます。これも相手のある作業をする以上は、最低限の倫理的課題であろうと思います。しかし、ここで言う倫理には、(悪い意味も含めた)プロとしての倫理とアマであることの倫理が混在してしまっている? そのへんでしょっちゅう学生(ときどき私も)は苦労している?

 再帰的行動というのは、既存の自分の行動を規定する枠組みの見直し、という、本来、ラジカルなものであろうと思います。ちなみに立命館大学の研究倫理の要綱にあたる部分には、あえて「学生も研究者である」という表現を入れてもらいました。いわゆるプロとしての研究倫理と、徹底的アマチュア(あるいはプロのアマ)の研究倫理とは、どのように異なるのか。
 秋には、先端研でも「研究倫理」について話をする機会をもらっているので、そのへんについて院生さんにも聞きたいと思います。

 
 写真はフリーライターのKさんがメイルで送ってくれた私のシンポジウムでの「雄姿」。